する贅沢から、しない贅沢へ

2009 10/19 (月曜日)

生命の本義 やすらぎの使命

こんにちは、こはりです。

慢性病や生活習慣病に向き合ってきました。

「なぜ病気になるのか」「どうしたら治るのか」といった問いから、心や体のクセや傾向の集積が病気となって現れることに気づきました。

その人の個性と病気は区別できない。

「生活習慣」を作り出す潜在意識、そこには「満たされない思い」や「過去の因縁」といったものまで幅広く存在し得て、原因を一つに絞ることは難しいでしょう。

しかし、必ず原因が存在するというのも真理でしょう。

「意味があるから存在する」

と考えることで病気も人生も意義あるものになります。

被害者意識でねたみそねみのうちに生きるよりも、より積極的で主体的な人生を歩みたいものです。

心の持ち方一つで病気は忌み嫌うものでなくなり、いつくしみ愛すべきものになるのです。

病を抱える多くの人に接し、否応なく不自然を強いられる現代社会で、“頑張って”生きてきた、その名誉の勲章ともいえるものが病気であると思い至ったのです。

しかし、病は人間の根源的な苦しみであることには変わりありません。

できることならば病から解放されたいと願うのが人間のあるべき姿です。

ところが今までの医療は病を悪とみなしそれと闘い、ただやみくもに排除することに腐心してきました。

しかし、病を意味あるものとして再定義した場合、病気の治癒が「生命尊重」すなわち「自然性の回復」にあることに気が付かなければ、永続的な本当の癒しは訪れないと思うのです。

こころやからだに偏りやゆがみがあるから無理や無駄が生まれてきます。

自然と調和した生き方、環境に順応できる心身をつくることが病気治癒の必要条件です。

ただ自然と調和するといっても決して山にこもり隠遁生活を送るということでもないでしょう。

良くも悪くも現代人として、文明社会の中、人間関係にもまれ悲喜こもごも生きていくことが「生まれてきた意味」なのかもしれません。

であるならば、逃げるのではなく、適応していく構えを心身ともにつくっていくことが、生活すなわち「生を活かす」ことになるのではないでしょうか。

その具体的な方法の一つにヨガや瞑想があります。

ヨガのポーズ、アーサナは「安定して快適」であることが求められています。

それはそのまま日常生活に応用しうることです。

どんな状況でも常に安定して快適な心身でいられれば、自分にも他人にもやさしくできます。

与えれば与えられる。

「満たされない思い」も霧散することでしょう。

「やすらぎ」は「今ここ」に…

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