する贅沢から、しない贅沢へ

2009 10/5 (月曜日)

地に足をつける

こんにちは、こはりです。

からだの不調を抱える人の足の裏が硬いというのは、何百人何千人と触っているうちにわかってくることです。

それならば柔らかくしなやかに保っておくことが健康の必須条件ではないのかと考えても不思議なことではありません。

自宅の居間には青竹ふみを常備して気が向いたらすぐに踏めるようにしています。

野生動物であれば石ころが転がり木の根が隆起する大地を素足で踏みしめているのですから、
改めて意図的に刺激を与える必要はありませんが、こと現代人にいたっては足裏の過保護ぶりが顕著です。

感覚が鈍り運動性が劣化しても当然といえましょう。

最近イチローの日課を知りました。

天才的なパフォーマンスの裏には地道な身体のメンテナンスがあったのです。

特に身体の末端に位置する足元に意識を向けられるということは、そのこまやかさ、繊細さを裏打ちします。

「はきものをそろえる」古きよき日本人の美徳は単なる礼儀作法を越えて、生活万般に応用しうる感性の醸成を担っていたわけです。

今までは共有されていた日本人としてのベースがなくなりつつある現代人は、専門化、特化された訓練を受けるだけでは先人の到達した高みにたどり着くことは到底難しいでしょう。

それは職業にまつわるホスピタリティについても言えることです。

目上の人を敬う、目下の者の面倒をみる、人に何かをしてもらったら感謝する。

そういった文化的、社会的な基盤なくしてサービスもホスピタリティもないわけです。

万引きをした子供を引き取りに来た親が「手の届くところに商品を置くのが悪い」と怒鳴り込む時代です。

そんな野蛮な現実がこの時代この日本で起きているのです。
そこにはヒトはいても人間はいません。

人と人との“間”の距離感を五感すべてで感じ取っていくのがヨガです。

自らの身体の鈍さを直視し、感謝、懺悔、下座、奉仕の心で「ヨガさせていただく」のが本来の姿ではないでしょうか。

その手でその言葉で人を痛めつける人間を育んでしまったのであれば、それはヨガ以前、教育以前の話だと思うのです。

僕が目指す「健康になる」というのは、ただ自分だけが長生きするということではなく、「感じる力」をはぐくみ自他共に活かし合える社会になることを望むことです。

今この瞬間を、こまやかな感覚をもって鮮明に生ききることでもあります。

生きることは「粋」に通じている。

江戸っ子である僕はやはり「野暮」の対概念である「粋」に美学を感じてしまいます。

イチローの一件で、同じ型のマッサージ器の注文が殺到しているといいます。

どこまで日本人は野暮になったのかと悲しくなります。

「モノ」を追い求めてきたところからすべての不幸が始まってきているというのに

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料金には、宿泊、食事、面談、マッサージ、カッピング、岩盤浴、講座、温泉、入湯税が含まれています。

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