する贅沢から、しない贅沢へ

2009 11/16 (月曜日)

よりヨガ的に

こんにちは、こはりです。

『あなたのからだを「聖なる魂」を宿す、光り輝く「移動神殿」にする方法と哲学が、ヨガです。』

なんて端的なのでしょう。

ヨギーニ内藤景代先生の著書「綺麗になるヨガ」の冒頭の一節です。

またこのようにも言っています。

『内側を切り捨てて、外側ばかり綺麗にしようとしても、道は遠く、無理があります。』

物事には「あり方」と「やり方」があるのだと思います。

「やり方」を追求して、「あり方」を深めていく努力を怠れば、ある程度のところから先、つまり上達への道は次第にふさがれていくのでしょう。

一般的に「ヨガ」といってイメージされる、ポーズをするヨガのことを「ハタヨガ」と呼びます。

内藤先生曰く『「ハ=ha」は、太陽、吸う息、凝縮をあらわし、「タ=tha」は、月、吐く息、拡大をあらわします。「ハタ」は、太陽と月、陰と陽が一つに結ばれたもの、という意味です。言いかえると、光と影、昼と夜、男と女、心とからだ、夢と現実…のように「対立」しているように見えるもの同士を一つに結びつけたものという意味です。反対物が対立している場合は、闘争的で、破壊的なエネルギーが渦巻きます。逆に、反対のもの同士が、それぞれの“ちがい”を認め合いながら、調和を求め、一つに統合しようとすると、否定的で悪魔的なパワーは変容して、肯定的で、創造的なエネルギーに転換され、<新しいもの>が生み出されます。』

「やり方」を追い求めると、どうしてもアウター(表層筋肉的な)動きになり、破壊性が伴ってくる実感があります。

「若気の至り」で済めばいいのですが、本質とは乖離した勘違いが横行しては“道”の存在意義が失われるというものです。

そもそも「あり方」が厳格に問われているだろうかと自問してみる。

合気道の場合もしかり。

合気道開祖植芝盛平大先生曰く
『合気道の鍛錬は真理の鍛錬にほかならず、よく努め、よく実践し、よく究め尽くすところ、すなわち「神業」を生ずるのである。
合気道は次のごとき鍛錬を実行してこそ、真理不動の金剛力が己の全身に食い入るのである。
1.己の心を宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。
2.己の肉体そのものを宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。
3.心と肉体とを一つに結ぶ気を、宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。
この3つを同時に、理屈ではなく、道場において、また平常の時々刻々の場において実行し得た者のみが合気道の士なのである。』

合気とは、何と合わせるのか、大先生ははっきりと明言しています。

にもかかわらず、合気道を「相手と気を合わせる」といった程度の理解では、野蛮な闘争術の域を出ません。

「道」はつくづくひとつなのだと思います。

だからこそ、ひとつの「道」にだけとらわれるのではなく、本物の道と呼べるものに出会ったら、多角的、複眼的に学び、常に「あり方」を見直し、より深めていくべきなのでしょう。

外見は「静」にして、内的な感覚はきわめて動的でクリアな状態を大先生は「スミキリ」と言いました。

「動禅(=アーサナ)」の要諦はまさにそこにあります。

目に見えるものだけの追求ではあまりにも失われるものが大きいと感じます。

善行を積み善果を重ねる生き方へ。

より柔軟に、より調和的に、より瞑想的に

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