する贅沢から、しない贅沢へ

2010 3/9 (火曜日)

僕を突き動かすもの

こんにちは、こはりです。

僕が健康法を求め、しきりに言及しているのには理由があります。

ただいたずらに、それをペダンチックにもてあそんでいるわけではないのです。
いわずもがな、単に自分だけ健康で長生きしたいなどという手前勝手な論理でもありません。

僕は東京の下町に生まれ育ちました。
土地柄、戦争の名残を肌身で感じることができました。
それは東京大空襲(1945年3月9日未明)で親族を亡くし、またその壮絶な体験談を祖父母に聞かされて育ったということもあります。

また幼少期、反戦思想のコミュニティと接する縁があって、一層戦争に対するえもいわれぬ恐怖感が植えつけられていきました。

焼夷弾が無辜の市民に向けて投下される映像、原爆に被爆し全身ケロイドを負った人々の写真など、目にする機会が多かったといえます。

見せられる映画は「火垂るの墓」をはじめとした反戦ドキュメンタリー映画。

いつしか僕は心細い夜の寝床で「今、戦争が起こったらどうしよう」「突然空襲が来たらどうしよう」そんな思いに駆られるようになりました。

周囲から見たら幼稚な妄想だと思われるでしょう。
しかし、その当時の僕にとっては切実な悩みだったのです。

大学で国際政治を専攻したのも、常識で納得させても地下水脈でうごめくような幼少からの不安を解消するためだったのかもしれません。

そして大学で学んで気づいたことは「何の理由もなく戦争は起きないこと」

一方で「人類の歴史は戦争を繰り返し、今もなお惨劇が止まないこと」

幼少から引きずっていた無知による稚拙な恐怖感は取り除かれても、あまりにやりきれない現実に対する愕然とした思いが残りました。

政治システムで平和を構築しようとする人類の試みも学問的に知ることができました。

しかし、いまだ実現されないのは政治の担い手が紛れもなく人間であって、その人間の心にこそ原因があるのではないかと気づき始めるのです。

いかに反戦平和を望む人がいても、戦争を好む人がいれば戦争へ突き進んでしまう。

欲望や利権にまみれた現実から逃避するように、平和に対し一見逆説的な武道を通して平和のあり方を学んだりもしました。

そんな折、この言葉に出会うことになるのです。

「平和の問題は必ず食の問題にぶち当たる。平和のメロディーは食生活の中で鳴っているんだ」

食養家桜沢如一の言葉でした。

今の今まで食に無頓着で悪食を極めていた自分がいました。
だからこそ身にしみる真理でした。

本質に迫れば、人間の心に尽きる。

そしてその心を穏やかにもし険悪にもするもの。
それは日々の生活で欠くことのできない絶えざる食の影響力でした。

「人間にとって自然なあり方とは何か?」

この疑問が僕の原動力であり、知的好奇心の源になっているのです。

「弱肉強食」であっていいはずがない。

野生の動物がそうであったとしても、人類だけは調和と共生のうちに気高く生きてほしい。

そんな願望に近い祈りが僕の心を突き動かしているのです。

現在つかの間の非戦時を享受している日本。

先人の悲劇の上に築かれた繁栄。

はたして人類は何を学んだのだろうか。

同じ惨禍を繰り返さないために。

口はばったいですが、僕はこの身を通して「愛」に至る道程を切り拓いていければと思うのです。

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