僕の週末はカミさんと伊豆高原周辺の散歩です。
ゲストの方の気分になってバスと徒歩で探索しました。
歩きは、車とは違った良さがあります。
面白そうな場所があるとふらっと寄ったり、
雰囲気の良い喫茶店に入ったり、
人も少なくゆっくりできます。
新緑の時期は外を歩くだけで気持ちがいいです。
小鳥の鳴き声を聞きながら・・・・
んー癒される
無料の美術館も結構あるし、ちょっとお得な気分ですね。
遠くは、本館の近くにある河津三郎祐泰の血塚に行ってきました。
歴史の勉強もたまには良いものです。
河津三郎祐泰の血塚の話を紹介しましょう。
日本三大仇討の一つとして有名な「曽我物語」です。
主人公曽我五郎、十郎の父河津三郎祐泰は剛力無双を誇り、相撲の得意な人でした。
所領継承の問題で従兄弟にあたる工藤祐経と不仲の状態であった祐泰は俣野五郎
景久を松川上流の奥野での巻狩りの余興に行われた相撲大会で勝ったため、いっそ
うの恨みをかいました。
そして、河津へ帰る途中、赤沢山の「椎の木三本」で遠矢にかけられ殺害されてしまい
ます。
河津三郎の未亡人はふたりの子どもを連れて相模の曽我祐信(そがすけのぶ)のもとに
嫁ぎます。このふたりの子どもが曽我十郎祐成(すけなり)と曽我五郎時致(ときむね)
です。
兄弟は祐経の宿所に忍び入り仇を討ちました。苦節18年目にして本懐を遂げました。
当時武家社会の格闘技として相撲は広く一般化しており、祐泰が景久を投げ倒したとも
いわれる決まり手「河津掛け」は今でも相撲四十八手の一つになっているそうです。
これが「椎の木三本」です。
ここから河津三郎祐泰を狙ったのです。
当時のことを考えるとゾクゾクします。