する贅沢から、しない贅沢へ

2010 9/24 (金曜日)

「宗医一体」の真意 後編

こんにちは、こはりです。前回のつづきです。

二人の師とは経絡指圧創始者 増永静人と沖ヨガ創始者 沖正弘のことだ。

駆け抜けた大正年間から昭和にかけて、「文壇の天窓を開け放った」と称される白樺派や、数々の新宗教、武道、療術などが勃興し、卓越した才能が多数輩出された時代であった。
社会科学的には「大正生命主義」と呼ばれる思想的区分である。
療術に限っても、それは百花繚乱、群雄割拠の様相を呈し、黄金時代と言っても過言ではないだろう。
その影響は現代においても色濃く、学ぶことは多く、時代を超える真理を内在しているものと考えている。

増永静人は東洋医学の原理をこう述べている。

『東洋の医学の原理は“自然に従え”ということですよ。これが大原則です。だから病気を通して、自然が持っている意味、自然とは何かということを反省するのです。いまの医学の治療が“治す”ことを主体に考えているのはおかしいので、“治る”という原理を自分の中からいかに掴むかということが医学の根本じゃないかと思います。自然というものの大きな力をもってすれば、こんなに簡単に“治る”じゃないか。それはあなたが自然の力というものをはっきり自覚したときに出てきたものだ、と言ってあげれば、みんなが一生懸命にその原理を求めようと思いますよ』

病気や症状についてはこう述べている。

『自然治癒能力というものが、果たして何を意味しているかを考え直す必要があります。人体の防御力が常に人体に有利に働くとは限らないと最近のストレス学説は教えていますね。むしろ、病気の苦痛は、ほとんどこの防御力の過剰な反応によっているとさえ言われています。病気になったのは自然治癒力が衰えたからだ、だから薬や治療でこれを援助するのだという考えは間違っています。病気という、生体に表れた歪みは、それ自体が、自然治癒力の努力なんだと考えるべきです。病気をすること自体が、生命の働きによる結果なのです。そう考えれば、病気をどうするかというよりも、その病気の原因となったものを問いかけることのほうが大切なのです。』

生命観へと発展して

『多くの人は、自分の生命を大事にすることが健康法だと思っている。しかし個体的な生命というのは自分だけの満足感ですよ。個々の生命は確かに大事ですが、それを保ちその生命を使って何かをしなければならない使命があるんです。みんなに。その使命が大事だからこそ我々は個体というものを大切にしなければいかんのです。結局、ここまでいかねば東洋医学ではないと、最近私は考えるようになりました。

どうしても使命を見つけねばいけない。何か、と。そうなれば、病気をする人にも、奇形の人にも、いろんな運命に出会う人にも、それぞれの意味がある。お互いに人間が見合って、「あの人から何を学ぶか」と考える。そういうものでなければ、人間という共同生命体の意味がわからない。また、人間が他の動物の生命、植物の生命を眺めることによって、自分の生命とはいったいどういうものだろうかと考える、そこに共通した生命観、生命としての一体感が生まれるんですね。これが仏教で言うところの「一木一草にも仏性有り」ということでしょうね。
このあいだも鯉の活造りを食べましてね、食べてる間もピクピク動いてますよ、「殺生やなあ」と食べてる人が言った。それで私は言ったんです。「あなた、殺生という言葉をつかったら、この鯉が泣くよ。この鯉を往生させるんですよ。往生ということは、この鯉の命が私に生きて、私のなかで新しい生命を保っているんだ。私のなかで、もっと大きな働きをするためにこの鯉は死んでくれたのだ。そういう見方をしなきゃ、鯉に悪いよ」と。お互い殺して行かなきゃならんことがあるけど、すべて往生ですよ。そしてまた私も、どっかの生命のところへ行って、新しい大きな働きのために往生する、と。これが生命の連帯感でしょうね。』

東洋医学がいかにホリスティックであるか思い知らされる。東洋医学と称して思想、哲学なく肉体のみを対象とした部分治療に明け暮れているのは本末転倒ということか。

翻って沖正弘は「真の医学は生命力を高める実行法を教えるもの」と題した文章でこう述べている。
『われわれは誰でも本来治る力が与えられているのであり、その力と働きを生命力と言うのである。であるから自己の力によって自然性を保ち、異常を回復できるように、心身の力を高め強め整える実行法を教えるものが真の医学であると言いうるのである。われわれは自分の心身を、生活を通じて使い養っている。だからこそ、生活の中でどのような体と心の使い方、養い方をさせているかが回復の鍵となるのである。誤った生活を心身にさせていれば異常になり、その生活を是正すれば治るというのが本当の導き方であり、そこに本当の医学があると私は信じている。ところが今の医学と称しているものは、一時的に変化させることを治療と称し、自ら治る力を高めるものでもなく、是正するものでもなく、ただ他物に頼って治そうとしているのである。また原因そのものが生活の中に存在するにもかかわらず、原因を簡単に考えて病名をつけ、しかも部分的な治療法で治そうとしている。私はこのようなやり方の中に本当の医学があるとは断じて思えないのである。』

「なぜ生まれ、いかに生きるのか」まで思いを馳せなければ、病の本当の治癒は訪れないということだろう。

また「宗教心を体得し病を癒す」の中でこう述べている。
『このような気づきから、私は治さない治し方の中に真実を見出した。それは宗教的な生き方を目指す方法である。病気を治す為には自分の心身の能力を浄め高めるだけでは不十分であり、何よりも心を尊くすることが必要なのである。宗教というものは人間にだけ与えられている仏性(仏になり得る能力)を開発するものである。すなわち人間だけが尊い心を持つ能力を与えられており、その尊い心に到る道筋を教えているのが宗教であり、愛の奉仕行を生活の旨とすべきなのである。宗教心が身についているかどうかは自分自身以外にはわかり得ないことである。私は宗教心とはこういうものであると定義づけた。それは感謝心、懺悔心、下座心を持ち愛の心をもって奉仕行を実行することである。またそれに尽きると信じている。そしてこのような感じ方、考え方、行い方を自分がどの程度できるようになったかが、宗教心体得の目安になるのである。それを私自身、自分で実行し、確かめてみて、間違いがないと信じるが故に真実として皆さんに申し上げているわけである。』

近年流行するヨガブームの裏には、現代人の深層に潜在する物質的な価値観の崩壊や、精神性、全体性への志向が読み取れないだろうか。

改めて先人の言葉をかみしめて、つくづく「本当のことしか言っていない」と思う。
徹底的に経験してきた末の言葉なのだ。

現代日本の自殺者は年間3万人を越える。
高度経済成長を経て国は富み、人々は物質的に満たされた。

その結果がこれだ。

このまま突き進んでいいのか。
何かが間違っているのではないか、と人々が考え始めてもおかしくないだろう。

閉塞感が募り、生きる力を失いかけている時代にこそ、生命を徹底的に見つめてきた彼らの言葉に耳を傾けたいと僕は思っている。

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