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病気の原因は3つある――「いい加減」に生きることの深い意味

※この記事は、やすらぎの里の元養生館館長・小針先生が
以前書かれた文章を、現在のサイト用に再編集したものです。

病気の原因を、3つに分けて考える

病気の原因を、大きく3つに分けて考えてみます。

① 肉体的な原因

不摂生や過労など、
生活習慣の乱れによって引き起こされる病気です。
食事・睡眠・運動といった
生活習慣を見直すことで改善が期待できます。
致死量の毒物を一度に摂れば命を落とすように、
不摂生という緩慢な毒性を積み重ねれば、
当然肉体に支障をきたします。

② 精神的な原因

本心や感情を抑圧することで
生命エネルギーが鬱滞し、
心身に不調をきたすものです。
日頃の心がけや思い癖が、
じわじわと影響していきます。

③ 形而上的な原因

先天的な病気や障害など、
避けられない病気です。
今生だけに原因を求めることが難しく、
過去世からの因縁や、菩薩行としての
病気を想定することで、
この世の不条理に
一つの解釈を与えてくれるものです。

この3つを混同するから、苦しくなる

肉体の節制をすれば健康が獲得できると信じ、
禁欲的な生活に努めても、
思い通りに病気が改善されないことがある。
すると今度は、心がけが悪いと自分を責め、
そのストレスが生活を乱し
肉体を破たんさせていく。

実際、病気の原因が単独であることは少なく、
多くは複合的に絡み合っています。
この3つを混同するところに、
もがき苦しみの原因があります。

禁欲的な生活が、すべてをよしとするわけではない

不摂生の限りを尽くして命を縮めることは、
自らへの背信行為だと思います。
しかし一方で、肉体の節制・禁欲的な生活の
すべてをよしとするものでもありません。
なぜなら、病気の原因は
肉体にあるとは限らないからです。

いくら健康的な食生活に努め、運動を励行し、
十分な休息をとったとしても、寿命には抗えない。
それならばむしろ、
肉体にとらわれずのびのびと生きていた方が、
健康度を上げていたかもしれないのです。
健康への関心や取り組みが、
押しつけられたものであったり
本心に背いたものであったなら、
それは意味をなさないばかりか心を痛めつけ、
新たな病気の原因になりかねません。

完璧な健康は、幻想である

無病で、痛みも苦しみもなく、
体をまったく意識しないほど
快適な状態を「健康」と呼ぶとすれば、
その実現に躍起になるのは人情でしょう。
しかしこうした完璧な健康状態は
幻想であることに、
早晩気づかなくてはなりません。

理性的に考えれば、この世に生まれた時点で、
人間はみな死に向かって
一歩ずつ確実に近づいています。
成長期を過ぎれば、老化・劣化の一途です。
その現実に立脚したとき、
限られた時間の中で何をするかが、
本当に重要な問いになってきます。

人にはそれぞれ、使命と優先順位がある

人にはそれぞれ、生まれてきた意味――
使命や役割があると信じています。
だから当然、人生における優先順位は
それぞれ違っていいはずです。
仕事に生きる人にとって、
自分の健康問題は二の次かもしれない。
それを他者からとやかく口を挟まれるのは、
おこがましい越権行為です。
反発を招きこそすれ、望む変化は期待できません。
あえて極論を言えば、
皆が模範的な生活を送る必要はないということです。

不完全さという個性が、人間を人間たらしめる

人類が一様に仙人になってしまったら、
この世界のカラフルな彩りは
単色のつまらないものになってしまう。

完全円満な聖人君子ばかりの
のっぺりとした世界に、
胸が張り裂けそうな恋愛や、
血沸き肉躍る感動や、
心揺さぶられる学びがあるでしょうか。

いろいろな個性を持った人々が
寄り集まって生活するところに、
悲喜こもごも無限のドラマが生まれます。
不完全さという個性があるところに、
人間としての進化と向上の契機がある。
そういうことだと思います。

不完全な他者に惹かれるのは、不完全な自分を愛することの裏返し

陰徳を積んでも、宿命的な病気は
避けられないことがあります。
自己犠牲や献身の代償に
健康が得られるとも限りません。
肉体の摂生に努め、清浄な精神を保ち、
宿命を覆すことができるとしても、
それは素質のある者が
満を持してやればいいことであって、
凡夫が背伸びをしてどれだけの意味があるでしょうか。

完全無欠な存在は畏敬の対象ではあっても、
莫逆の友とはなりえません。
不完全な他者に惹かれるのは、
不完全な自分を愛することの
裏返しに他ならないのです。

あきらめて、開き直る。そして軽やかな一歩を

「いい加減」という言葉には、
「良い加減」という意味があります。
完璧を目指して苦しむのではなく、
自分の不完全さをまるごと認めて、
あきらめ、開き直る。
そこから初めて、
軽やかな一歩が踏み出せるのだと思います。

やすらぎの里が大切にしてきた考え方を
さらに知りたい方は、こちらもご覧ください。

→ やすらぎの里が30年かけて伝えてきたこと――なぜ人は、整うと満たされるのか

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