こんばんは。藤田です。
この前、神奈川県は松田の福昌院にて
観音まつりの時に野点(のだて)のお茶をやらせてもらいました。
太陽が急に出てきて
暑くなってきて
「これは・・」と思っていたら、
カキ氷の差し入れがありました。
片付けのときに多くの寺にたずさわる檀家衆が
イスやテーブルなどを片付けているのをみて
お茶屋さんの見事な道具のしまい方などをみるにつけても
感慨が深かったです。
終いには、お土産に鉢植えまで頂き、
人のやさしさ、田舎のよさを感じてきました。
こんにちは、こはりです。
ゆんらりとやさしさにつつまれるヨガ
ヨガをする人達へ
迷っても
戸惑っても
時に疲れ果てて
倒れたふりしても大丈夫
そんな自分を受け入れ
優しくほめてあげよう
それもヨガの精神。
ほうら、こんなふうに力が抜けて
いい感じになれるから。
ヨギーニ別冊「ヨガで美しくのVOL2」
ここのところ毎晩このDVDでヨガをしています。
心の底からリラックスしてよく眠れるのです。
僕に一番合っているようです。
なにより経絡指圧創始者増永先生考案の経絡体操と、アーサナと呼吸の原理が同じなのです。
つまり経絡的な観点から見ても非の打ち所のないヨガと言えるのです。
僕だって長年ストレッチしてきました。
しかしこのヨガをやってみて、今までのストレッチがいかに粗野でずさんであったか思い知らされるのです。
ポーズをとるごとに僻地開発、「こんなところがあったのか!」と驚きの連続なのです。
例えば股関節の屈曲動作は、意識的にストレッチする機会が多いのですが、
その反対に伸展動作というとまったく盲点でした。
筋骨格的な観点から言えば腸腰筋、体軸や腰にとって要となる部分。
身体的なパフォーマンスにも中心的に関わる部分です。
そこをおろそかにしては画竜点睛を欠くというもの。
またハムストリングの硬さも痛感しました。
経絡的には膀胱経ですが、そのストレッチもいかにトリックモーションが多かったか。
これは野口体操や真向法でも指摘されることではありますが、骨盤と股関節を意識した動作でなければ、何度やっても本質的な動きに到達し得ない。
痛みに出会ったとき、抵抗や反発をすることなく、善悪を判断することなく、ただ観察する。
冷静に細やかじっくり観察していく。
筋力に任せ反動をつけるようにして曲げていくことはたやすく、意欲的に取り組んだ充実感や達成感があるにしてもそれは錯覚であること。
このヨガはゆんらりとしながら、体感としては「効く!」と「気持ちいい!」が同居した不思議な感覚です。
吸うことでからだが広がり、吐くことでゆるむことを細やかに観察しながら、力みや滞りのないからだに近づけていきます。
このプロセスこそ、このヨガの醍醐味で、単なるモノではない、生命感溢れるほかの誰でもない自分のからだを感じとれる貴重な時間になるのです。
心身のリラックスのほかに、運動のパフォーマンスアップにもきわめて有効でしょう。
これを学校教育に取り入れたら、体育会系の部活動の準備体操や整理体操に、また瞑想法として自分を見つめる時間としたら、競技中のケガや、不慮の事故、こころとからだの病気などが減るのではないかと思います。
自分のからだを機械や部品としてみるならば、力任せに部位別短時間のストレッチでもいいのでしょうが、そのつけは必ずケガという形で表れてくるでしょう。
言い方をかえれば、ケガというのは、「そのやりかたは間違ってますよ」「自然とは離れて不自然になってますよ」というメッセージなのでしょう。
以前よりはるかに筋骨隆々、体格に恵まれたアスリートが多いのに、はるかに硬く脆弱でケガのしやすいからだを持っているのはなぜなのでしょう。
アウターの意識が強いこと、いろいろな意味で表面にある頑なさが中身を見えなくさせている証左なのではないでしょうか。
それは「結果がすべて」「結果を出さなければ」という世界観そのままのように思います。
決められたカタチをしっかりとることよりも、そのプロセスを大事にしよう。
これこそヨガの、ひいては人生の本質のように思うのです。