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2010 3/31 (水曜日)

ふれあいの復権

こんにちは、こはりです。

僕は「触れる」ことが好きです。
そこには人の思うような下世話な下心やセクシャルな意味はないように思います。
近づきたい、ぬくもりを感じたい、そんな純粋な想いがあるのです。

お酒を飲んで酔うと「触り魔」や「抱きつき魔」が増えます。
これも普段抑圧していた欲求がお酒の力を借りて顕在化したと見るべきでしょう。

人は少なからず「触れ合う」ことの気持ちよさを知っているのです。
このように本来は人間関係の本質でありよろこびであった「触れ合い」が昨今著しく卑しむべきものになっていることは嘆かわしく思っています。
女性の地位向上を背景にセクシャルハラスメントが声高に喧伝され、女性専用車両の導入など潔癖とも言える拒絶反応を示しています。
その原因には一部の憎むべき男性の卑劣な犯罪行為があることは言うまでもありません。
しかし、それですべての「触れ合い」が否定されてしまう、またはその魅力が減じてしまうのであればもったいないことです。
いつでも、どこでも、誰とでも、というわけではありませんが、コミュニケーションのひとつのカタチとして、自然の在り方として認知されることが望ましいと考えます。
「触れる」ことを恐れては、こわばった心身と軽薄で粗雑な関係しか残らないのではないかと危惧するのです。

そんな僕は「触れる」ことに魅せられ、それを職業とする指圧を学ぶことにしました。とてもわかりやすい動機です。
それを一生の課題として生きていく決意をした、と換言することもできます。
「決意」という言葉ををあえて選んだのは、「触れる」ことに対する偏見や蔑視がその魅力や可能性の裏に常につきまとっていることを少なからず感じているからです。
「触れる」という一見単純な行為に様々な思惑や心情が包摂します。

自分の手首の脈をとってみてください。
どうでしょう。
肌にやさしく静かに触れそのまま動かさずじっとしていないでしょうか。
これがまさに指圧の三原則、持続・垂直・集中なのだと思います。
つらいとこ、痛いところを直に触れ診てあげる。
「診断即治療」指圧の神髄がそこにあります。
良いお医者さんというのは機械の検査で済んでしまう病気であっても、わざわざ聴診器を当てたり、胸に触れたり叩いてみたり、のどの様子を見てくれる人のことではないでしょうか。
信頼の置けるなじみの主治医の、いつもの診察を受けるだけで、今まで辛かった症状も半分治ってしまうことに似ています。
悪いところをさぐったり、コリを目の敵にするのではなく、その辛さを想像し惜しみなく深く圧す。
「共感」を「惜しみなく深く圧す」という行為で示すこと。
それが指圧の本質であり治病原理だと考えます。

そして僕は「指圧」を通して「ショクイク」を行っていきたいと考えています。
最近よく聞く「ショクイク」は「たべる」に「はぐくむ」と書く「食育」です。
つまり「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる取組みを指します。
平成17年に食育基本法が制定され脚光を浴びたキーワードです。
もちろん食べる食育の重要性も認識しています。

その上で、僕はもう一つの「ショクイク」の重要性を喚起したいと考えています。
それは「触れ合い」を通して生命の尊さを分かち合う「触れる」に「はぐくむ」と書く「触育」です。

旧来「あんまさん」と蔑まれる所以となった、「中高年の慰安」という既成概念をうち破って、より根本的な提案をしていきたいと考えています。
ガチガチに凝り固まり、生活習慣病になって初めて自分の身体があったことに気付く愚かな大人を作らないために、豊かな感覚を育み、気持ちの良い「教育としての指圧」を考えていきたいと思っています。

指圧の可能性を示唆する例があります。

「学級崩壊」という言葉があります。どこか非行などの粗暴なイメージを思い浮かべがちですが、その真の内実は子どもたちの心身の異変に見て取ることができるようです。

LD、ADHD、高機能自閉症、コミュニケーション障害などです。
LDとは学習障害とも言われ基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち、特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指します。
ADHDとは注意欠陥/多動性障害と言われ、極端に注意力がなく頻繁に動き回る、相手を蹴る・叩くなど衝動的な行動をとります。
それはくしゃみが自分では止められないように、多動や集中力の欠如も本人の意志やしつけなどとは関係なく、身体の現象としておこってくる症状です。

今までこのような子どもたちは、しつけが出来ていない、甘えている、と認識され強圧的な指導の対象として、または見捨てられ落ちこぼれになってきました。
しかし最近では本人の意志やしつけにはまったく関係のない症状として見直されるようになりました。
そしてLDの子の約3分の1、自閉症の子の100%に爪切りや散髪、耳あかとり、歯磨きなど触れられることを極度に嫌がる触覚防衛が見られることがわかったのです。 

外から入ってくる皮膚への触覚刺激に、しっかりと注意や意識を向けていく働きが弱く、そのために本能的に対象物に向かっていったり、逆に防衛行動や警戒反応が出るというのです。
触覚には外部からの敵に対し自分の身体を守る「防衛的な反応」と触った質感で「これは何?」とわかる「識別的な反応」があります。
しかし、触覚がうまく育っていないと、皮膚の触覚でものを識別することができない。その一方で防衛的な反応ばかりが鋭くなるといった歪みが生じてきます。

作業療法士A・J・エアーズは感覚統合理論「子どもの発達と感覚統合」の中で「感覚の歪みやそれぞれの感覚どうしの統合に障害がある場合、子どもの発達に大きな影響を及ぼす」としています。そうした観点から「感覚統合」(外界から脳の中に入ってくる実にさまざまな触覚刺激を、交通整理していく脳の機能)を回復させ治療を試みようとする考え方が生まれました。

はっきりとわかりやすい刺激を皮膚から入れていき、そこに注意や関心を向けていく反応を引き出してあげることを通して、本能的な触覚の働きが暴走してしまわないように、脳の回路を整える方法です。

また、マイアミ大学ティファニー・フィールド博士は、触れ合いを通して親子のきずなを深めようとする取り組みとして「タッチケア」を実践しています。
具体的には、母親が赤ん坊の素肌を「触れる」「撫でる」「マッサージする」「手足を曲げ伸ばしする」といった手技を用います。

動物行動学者デズモンド・モリスは、人間は「裸のサル」であって、これだけ全身の皮膚を露出していることは、本来、触覚を相当活用してコミュニケーションする動物であるはずだとしています。

今までコミュニケーションの中で育まれてきた触覚が、親子関係の希薄化、整備された快適で効率的な街路、便利さを追求した都市空間、と引き替えに失われようとしています。
昨今マスコミを賑わす親の子殺し、子の親殺しも「ふれあい」の欠如と無縁ではないかもしれません。

すでに前兆はありますが、今後のキーワードは「身体」「自然」になると考えています。
ますます閉塞感が高まる中、自然回帰の流れは加速化するでしょう。
それは自然環境への配慮であり、同時に人間としての自然を求める欲求でもあります。
人間関係の希薄化は未来に影を落とします。
豊かな感性が奪われていく時代に、人間臭い「ふれあい」は、日本の未来を担う愛と豊かな感性を備えた人材の育成に寄与すると信じています。

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2010 3/31

Jane・春号「太らないカラダになる!」

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2010 3/28 (日曜日)

小さないのち

こんにちは、こはりです。

親の子殺しがメディアを賑わしている。
法廷で多弁すぎる親が気になる。
愛する子を失った親というものは、こうも淡々と自分の潔白を語れるものかと。
自分がその状況に置かれてみないことには実際のところ、どのような心境になるかわからないが、2500年以上前から語り継がれている言葉が思い出された。

「子曰巧言令色鮮矣仁」(ことば上手の顔よしでは、ほとんど無いものだよ、人の徳は)

かくいう孔子には周囲を驚かしたエピソードがあった。
一番弟子の願回が死んだ時。

「天、予を喪せり。天、予を喪せり。」(ああ、天はわしを滅ぼした、天はわしを滅ぼした)と身悶えして激しく泣いたという。

「顔淵死す。子これを哭して慟す。従者曰く、「子慟せり」と。曰く、「慟することあるか。夫の人の為に慟するに非ずして、誰が為にかせん」

儒教は親族を中心として同心円状に礼が構築される。
息子が死んだ時でさえ気丈だった孔子が、他人の顔回の死に激しく泣いたことに、ある弟子はとがめた。
「先生、激しく泣いておられます」

孔子はこう答えた。「わたしは慟していたか」

自分の状況もわからないほどだった。

「この人のために慟哭するのでなかったら、誰のために慟哭するのか」

そしてさらに慟哭し続けたという。

理屈じゃなかった。
体裁も関係なかった。
身を震わせ声を出して泣くだけだった。

「慟哭」という言葉はここから派生したともきく。
孔子は現代にまで真実を教え続けている。

論語を愛した指圧師がいた。我が師増永静人だ。

「自分の生命を大切にすること、そのことが相手の生命を尊重し、自分のまわりの生命をすべて大切に扱うことに連なっていくという実感を味わってほしいのです。これはいくら言葉で知って頭で理解していても、“もの”を中心にする生活をしている間に、バラバラに離れた存在になって、自分しか見えない幻想のとりこになってしまいます。今までの健康法は、そうした個人だけの長生きだけを目的としたため誤ってきたのです。」

時代を超え、現代に突き刺さる箴言。

ふれあいの本質、その手は子を慰めるために…

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2010 3/25 (木曜日)

断食を終えて

こんにちは、こはりです。

空腹をめいっぱい味わうことで、理屈ぬきで「食のありがたみ」が身にしみます。
半日とか一日とか、ごく短時間の断食でも精神的な効用は計り知れないものがあります。

月一回でも週一回でも普段の生活の中に組み入れれば、食に対する構えが、ひいては生き方が着実に変わっていくにちがいありません。

人間は類まれな想像力を持っています。一方で忘れていく生き物でもあります。

恵まれない境遇にある人々に思いを馳せ、周囲にあふれる愛に気づき、今こうして生かされていることに感謝する。
それを常にできれば、人をねたんだり、意地悪したり、やみくもに嘆き悲しんだりすることはなくなるんだろうと思いますが、なかなか安定しないのがまた未熟な人間というものです。

考えてみれば、何事も上達のためには地道に小さなことを繰り返し積み重ねていくことが必要です。

同様に、自分にも、他人にも、そして地球にも、やさしくするためには練習が必要なのでしょう。

つまり、自他の愛を思い出すための「断食」を行うのです。

それはしゃちこばった「よそいき」ではなく、生活の一部となりうる「スタイル」です。

不安や卑屈のままにもがき苦しむ断食ではなく、マインドフルネスなほほえみとともに空腹を噛みしめる断食にしていきたいものです。

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2010 3/22 (月曜日)

断食のススメ

こんにちは、こはりです。

ケガや病気、普段の生活で感じるちょっとした不調に、改めて断食をおすすめしたいと思います。

と申しますのも、自分自身、数日下唇の口内炎に悩まされています。
腹を触るとへその周りに硬結があり、額とこめかみにはかゆみを伴うカサカサした湿疹ができています。

腸の疲れや老廃物が皮膚を介して排毒されているようです。

経絡的にいえば肺ー大腸経で、外界との交流は呼吸器とともに皮膚呼吸も含むと考えられています。

冬は寒さに耐えるため、いろいろなものを溜め込む体になっていますが、
寒さがゆるみ春の訪れとともに、つぼみから花が開くように、人間の体も骨盤を中心として開いていき、余分な老廃物や体内毒素を排泄するようになります。

この排泄力の旺盛になる心身好転のタイミングに合わせて、断食することは生命の働きに後押しすることのできる絶好のチャンスといえるのです。

普段かえりみられることのないこの我が身に、たまには感謝の気持ちをむけてあげてもいいのではないでしょうか。

そして、その感謝の気持ちを行動に移したものが「断食」に他なりません。

かくいう自分も、体の排泄を力づけるべく、今日から断食をさせていただきます。

普段「どうせ治らないだろう」と、だましだましやり過ごしている体の痛みや不調。

炎症や腫れ、痛みを生命の自然な働きと肯定的に考えれば、治ろうとする力に後押しさえしてあげれば、治っていくのが必然だと思います。

ただ、改善の余地が食事、運動、呼吸、姿勢、精神活動といった生活全般に及ぶため、躊躇しているか、怠惰のあまり病でいることを好んで安住しているのかもしれません。

人間というのはつくづく儚く弱い生き物なのだと思います。

そのために病があって、身をもって思い知らされ、発破をかけられ行動、実践のモチベーションを喚起するのかもしれません。
そのように考えれば、それは単なる苦しみではなく、本当の幸福を見据えた無償の愛のムチとして、これを受け入れられるようになるかもしれません。

病気や痛む部分を悪い部分とみなし、その局所に治療を施す。
人の手を借り、それを治してもらう。

いずれも病を単なる苦しみとして、受け止めていることから生まれてくる発想です。

これによって一時的に症状が消えたかのように思えても、また再発するでしょう。
それは原因が取り除かれていないことによる因果応報、自然の理といえます。

根本的に治し、病気を契機として、さらに豊かな人生を得ようとすれば、おのずと自己を省み、生活を見直し、ひとつずつ実践をしていく他に道はないといえるでしょう。

その足がかりとして断食は、内観を促す意味でも有意義ではないでしょうか。

断食で「治す治し方」から「治さない治し方」へ。

それは真の幸福へと近づく偉大なる一歩だと思うのです。

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    2泊3日 32,340円

  • 基本プラン

    3泊4日 48,510円

料金には、宿泊、食事、面談、マッサージ、カッピング、温泉、講座、ヨガや瞑想などが含まれています。

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