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2010 3/21 (日曜日)

アンパンから頂門の一針

こんにちは、こはりです。

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ!みんなの夢 まもるため

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

そうだ おそれないで
みんなのため
愛と勇気だけがともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる
光る星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああアンパンマン
やさしい 君は
いけ!みんなの夢 まもるため
(♪アンパンマンマーチ)

テレビから流れるこの歌詞を改めて読んでドキッとした。

やなせ先生は今でこそ日本を代表する児童文学作家だが、その人生は順調とはいえず、晩年になってから日の目を見た。

その歌詞に託された想いをどう汲み取ろう。

アンパンマンの心の闇には孤独感、無常観が貫いている。

この世に生まれ落ちて肉体を持った存在の普遍的な孤独を。
そして生きることに伴う普遍的な苦しみを。

ならば、ありのままに受け入れて、

今を生きよ!

癒えない傷があるならいっそ引き連れて。

“ともだち”を失ってはいけない。

敵は自分の中にこそある。

物心つかんとする年代の子どもたちが、この詞に触れられるこの国はまだ捨てたものじゃない。

哲学があるか。

僕はこの年齢になってやっと気付いた。
やなせ先生が託した想い。

アンパンマンは君だ!

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2010 3/16 (火曜日)

合掌から始めよう

こんにちは、こはりです。

ヨガでは「生命の働き」を「バランス維持回復の働き」ととらえます。

ですから病気と思えるものは、生命が「誤った生活を改善し、心身を浄化改造しなさい」と教えるメッセージと考えるのです。

ゆえにヨガは「自然性の回復」を目指し生活全般を見直していく営みといえます。

その具体的な方法の一つとして、自然法則に順応した生き方とは何か、身体の声に耳を傾けていくわけです。

生命が喜ぶことが、すなわち自然となります。

呼吸が深まり、脈が落ち着いてくることによって表されるものです。

しかし、人間は動物と違って文明生活を営んでいます。

そこに心身の過保護や無理などの不自然が生じてくるわけです。

とはいえ、現実的にはそれを全く排除した生活、つまり文明との決別など考えられません。
良しにつけ悪しきにつけ人間はここまで進化してきました。

ですから、今の生活と折り合いをつけながら、少しずつ自然な方向へ、また同時に不自然に対して、自分の心身をある程度順応できるように鍛えることも必要でしょう。

人間が野生動物と明らかに違うところは、意図して順応性を高められるところにあるに違いありません。
だからこそ今日の文明があるともいえるわけです。

それでは具体的に健康体の定義となりますが、ヨガでは生理的には「丹田力」を高めることが重要になります。
西洋医学的に言えば自律神経とホルモンの働きを高めることにつながります。

そのために古来より「呼吸」が重視されました。特に丹田を意識する「腹式呼吸」です。
「肚をつくる」ことに心血を注いできたのが、わが国を含む東洋の健康法の歴史です。

さらに精神面では「仏性力」を高めることに力点が置かれます。

他の動物にはなくて人間だけが持っている「良心」とか「心身のコントロール能力」のことです。

その二つが高まると「三昧力」がついてくるといわれます。

「拝む心」と言ったらいいでしょうか。
これはすべての物事を感謝のうちに肯定し活用できる心のことです。
何をするにも心身が統一されて、喜び楽しんでできる境地です。

こうなれば仕事も家庭も含めて生活すべてがストレスフリー、むしろ健康法になり得ます。

以上、なんだか健康法の範疇を越えたように思われるかもしれませんが、そこまで見据えて健康を再定義していくことで、より生活に即した身近な実践方法が明確に浮き上がってくるように思います。

つまり、世の中にあふれる玉石混交の情報の中から正しいものを選び出し実践していく術を知ることです。
それも、肉体と精神を含みこんだホリスティックなあり方へのシフトを意味します。

ところが心の重要性を理解しても、目に見えない心を整えるのは至難のことです。

ですから昔から、まず身体からアプローチしていく知恵(型)が培われてきました。
これは現代においても変わらないでしょう。

否、科学技術が進歩した現代だからこそ、この血の通ったぬくもりのある身体に積極的に目を向けていく意味があるに違いありません。

ヨギ沖正弘は「生命即神」と喝破しました。

人間の根源的な苦しみとされる「生老病死」に光を射すはずの神が、他でもない我が身に宿しているとすれば、これほどの福音はないでしょう。

自信と勇気を取り戻して。

今からでも、身体の声に耳をすませ、自己と神を「結ぶ=ヨガ」をしてみませんか。

そのぬくもりに静かに手を当てれば、今すぐにでも

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2010 3/9 (火曜日)

僕を突き動かすもの

こんにちは、こはりです。

僕が健康法を求め、しきりに言及しているのには理由があります。

ただいたずらに、それをペダンチックにもてあそんでいるわけではないのです。
いわずもがな、単に自分だけ健康で長生きしたいなどという手前勝手な論理でもありません。

僕は東京の下町に生まれ育ちました。
土地柄、戦争の名残を肌身で感じることができました。
それは東京大空襲(1945年3月9日未明)で親族を亡くし、またその壮絶な体験談を祖父母に聞かされて育ったということもあります。

また幼少期、反戦思想のコミュニティと接する縁があって、一層戦争に対するえもいわれぬ恐怖感が植えつけられていきました。

焼夷弾が無辜の市民に向けて投下される映像、原爆に被爆し全身ケロイドを負った人々の写真など、目にする機会が多かったといえます。

見せられる映画は「火垂るの墓」をはじめとした反戦ドキュメンタリー映画。

いつしか僕は心細い夜の寝床で「今、戦争が起こったらどうしよう」「突然空襲が来たらどうしよう」そんな思いに駆られるようになりました。

周囲から見たら幼稚な妄想だと思われるでしょう。
しかし、その当時の僕にとっては切実な悩みだったのです。

大学で国際政治を専攻したのも、常識で納得させても地下水脈でうごめくような幼少からの不安を解消するためだったのかもしれません。

そして大学で学んで気づいたことは「何の理由もなく戦争は起きないこと」

一方で「人類の歴史は戦争を繰り返し、今もなお惨劇が止まないこと」

幼少から引きずっていた無知による稚拙な恐怖感は取り除かれても、あまりにやりきれない現実に対する愕然とした思いが残りました。

政治システムで平和を構築しようとする人類の試みも学問的に知ることができました。

しかし、いまだ実現されないのは政治の担い手が紛れもなく人間であって、その人間の心にこそ原因があるのではないかと気づき始めるのです。

いかに反戦平和を望む人がいても、戦争を好む人がいれば戦争へ突き進んでしまう。

欲望や利権にまみれた現実から逃避するように、平和に対し一見逆説的な武道を通して平和のあり方を学んだりもしました。

そんな折、この言葉に出会うことになるのです。

「平和の問題は必ず食の問題にぶち当たる。平和のメロディーは食生活の中で鳴っているんだ」

食養家桜沢如一の言葉でした。

今の今まで食に無頓着で悪食を極めていた自分がいました。
だからこそ身にしみる真理でした。

本質に迫れば、人間の心に尽きる。

そしてその心を穏やかにもし険悪にもするもの。
それは日々の生活で欠くことのできない絶えざる食の影響力でした。

「人間にとって自然なあり方とは何か?」

この疑問が僕の原動力であり、知的好奇心の源になっているのです。

「弱肉強食」であっていいはずがない。

野生の動物がそうであったとしても、人類だけは調和と共生のうちに気高く生きてほしい。

そんな願望に近い祈りが僕の心を突き動かしているのです。

現在つかの間の非戦時を享受している日本。

先人の悲劇の上に築かれた繁栄。

はたして人類は何を学んだのだろうか。

同じ惨禍を繰り返さないために。

口はばったいですが、僕はこの身を通して「愛」に至る道程を切り拓いていければと思うのです。

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2010 3/8 (月曜日)

チョウ健康法!

こんにちは、こはりです。

慢性的な便秘で悩んでいる方が多くいらっしゃいます。

臨床経験として、便通が回復すると以前から悩まされていた頭痛と首肩のコリまでとれてしまったというものがあります。

これはとても示唆に富んだ出来事だと思いました。

世にはたくさんの健康法があふれていますが、“排泄”というキーワードで概観したとき、その真贋が見極められるように思います。
また言い方を換えれば“排泄“を軸に生活を組み立てていったとき、それは立派な健康法たり得るということです。
指圧の世界で伝統的に腹部が重視されてきた理由のひとつもそこにあるのかもしれません。

まずは食事療法で定番といえる玄米、なぜ玄米なのか?
その疑問も“排泄”という観点からみればとてもシンプルに説明がつきます。
食物に含まれる食物繊維は消化吸収されないため、そのまま排泄されます。
つまり便の元となるのです。それは腸内の老廃物を絡め取りながら、また腸内の有益菌のエサとなりながら通過していくもので、腸内環境を整えるためにも有用といえます。

逆に精白された米や小麦、砂糖などは便を停滞させ、便秘の要因となりえます。
停滞した便は、腸壁にこびりつき血管を通して老廃物が吸収され全身に運ばれていきます。
前述の女性の一連の症状も自家中毒によるものと言えるのではないでしょうか。
食物繊維をたくさん含む穀物と野菜を中心とした食生活は健康の基本といえることができます。

なぜ動物性食品の過食はいけないのか?
それは消化しづらいために長時間腸内に停滞することが問題となるからです。
同時に腸内の悪玉菌が好んでエサとするのも動物性の脂肪やタンパク質なのです。
肉を食べると便やおならが臭くなるのはそのためです。
肉食する欧米人は日本人に比べて腸が短いと言われています。
肉食の長い歴史に対応すべく腸内で腐敗する前に排泄できる構造に進化しているのです。
ところが穀物菜食の消化吸収に優れた日本人の長い腸では腐敗した肉が腸内に停滞することになり、その老廃物や毒素が腸の血管を上行して身体のあらゆる部位の病源となります。

また腸内環境で見逃せないのが、腸内で生息する菌の存在です。
善玉菌、悪玉菌という名称で呼ばれていますが、単純に悪玉を駆逐すれば健康という訳ではありません。
日和見菌を含めてバランスよく共生している状態が望ましいとされています。
なぜなら悪玉菌といえども、からだの免疫機構がそれを駆逐しようとしない事実からも、必要悪が認められるのです。

実際の研究からも悪玉菌が免疫を活性化するなどの有益性が確認されています。
ただそのバランスが崩れ、悪玉菌が異常に増殖することによってガンを始め様々な疾患を引き起こす原因となるとも言われています。
また近年アレルギーとの関係性も示唆されているところです。それは小腸が人体最大の免疫器官であること、そして脳に次いで神経細胞の多い器官であることに由来しています。アレルギーでない人とアレルギーの人を比較したとき腸内細菌分布の有意な差が認められたという報告もあります。食生活の欧米化とアレルギーの増加の相関関係は腸内環境から十分に説明がつくものでしょう。

最近見かける「プロバイオティクス」とは腸内で有益な活動をする菌のことですが、それを食品から摂取することは有益といえるでしょう。
乳酸菌飲料やヨーグルトなどがもてはやされていますが、元来日本人は伝統的な食文化の中にみそやしょうゆ、漬物をはじめとした発酵食品をうまく取り入れプロバイオティクスを先駆けています。
和食の価値を再発見して健康生活を送りたいものです。

食品に関して付言すれば、刺激物を控えることも大切でしょう。不眠症の患者で治療効果が芳しくなく、その原因を探ったとき、お茶やコーヒーなどのカフェインの摂取があったという事例があります。
一時的にカフェインの摂取を中止させたところ不眠症が改善したのです。
カフェインをはじめとする嗜好品、刺激物の睡眠を妨げる作用、精神に及ぼす影響を看過できません。
長期間の不眠や精神的な起伏は体を確実にむしばんでいきます。
質のよい睡眠こそが体にとって最高の薬であることは論を待たないでしょう。

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2010 3/2 (火曜日)

身をもって学ぶこと

こんにちは、こはりです。

ヨガをやりはじめて、我が師増永静人先生の開発した経絡体操の見方が変わってきました。その真価がわかり始めたと言いましょうか。

最近出た若者向けのマクロビ入門書でも経絡にちなんだ体操として、増永式の経絡体操がそのまま使われていました。

本物は時代を超越するなと。

健康増進に、スポーツにおけるパフォーマンスアップに、俄然真価が発揮されてくることでしょう。

増永先生の著書「家庭でできる指圧」にこんな記述がありました。

『先日も競輪の選手が、生命である膝を痛め、いくら膝のマッサージをしても治らないといってきました。膝を痛めたからといって、膝だけが悪いのではないのです。腹部を診ると精神的なあせりもくわわって、消化吸収の力が衰えて硬くなっています。それは腰にも影響して、足の動きに関係深い腰臀部の筋も硬化しています。もちろん、腕から頸、肩までカチカチになってしまっています。「ふだんの倍も練習しているのに、少しも成績があがらない」といいますが、「こんな身体では、疲労がくわわるばかりだから当然ですよ」と教えて、全身の硬くなったところを指摘しながら、あせりは、かえって身体に悪いことをさとらせました。スポーツの生活は、つねに成績をよくし勝たねばならない、という精神的圧迫との戦いでもあり、それが努力につながる反面、身体的なゆがみを作ります。この無理な力が、いちばん酷使する肉体の部分に障害となってあらわれるのです。』

野球の松井も膝の手術をしたみたいですが、膝の部品交換だけでは根本治療にならないのが機械と人間を分けるところです。

こころもからだもまるごと全体含めて人間という存在です。

実際僕が臨床の場において感じる膝を痛める人の特徴といえば、糖尿病で運動不足で頭ばかり使って悩んでいる人が多いです。

頭ばかり使うと甘いものがほしくなります。そこで砂糖をとると頭が冴えすぎてさらに使うようになる。悪循環です。

経絡的には脾が虚していることによる一連の症状です。

陽性食過多は右に、陰性食過多は左に出やすいとも言います。
膝関節が器質的に変化しているというよりも、毒素がそこにつまるようなイメージの方が近いように感じます。

内臓ひいては生活習慣とも分かち難く結びついているわけです。

増永先生は食について
『食は生命なり、といわれるのですが、心正しからざれば、食自ら悪し、というわけでして、最近の食毒の氾濫は、まさに社会の正心が失われている結果です。食毒が肝臓を冒すことは最近の研究でも明らかてすが、その急激な増加は社会責任に負うところが大きいわけです。しかし見かけの色や味付けに迷わされ、嗜好品やアルコールを過剰に好み、必要以上の過食でさらに食毒を増すのは、やはり個人の心がけの問題でしょう。いたずらに食物の恐怖に悩まされるより、社会的にこれを改善する運動と同時に、自然の正しい味覚をよみがえらせる正しい生活を根本におきたいものです。正食の根本を、こうした精神において、自然食品や食養法の推進には、社会的な協力のもとにすすめる必要があるでしょう。』

30年前に書かれたにも関わらずまったく色褪せず、むしろ冷静な分析と卓見は現代を生きる人間にそして社会に鋭く突き刺さります。

今、ある野球選手がテレビCMで、朝からカレーを食べようなどと宣伝しています。

生産者にも消費者にも悪気がないのが、かえって情けなく思います。

彼は過酷な肉体労働だから良いのかもしれませんが、一般の人が安易に真似をして胃腸を壊さないか心配なところです。

さらに国をあげて「朝食を食べよう」といったキャンペーンをはっていますが、その日の体調や個体差のある体質を省みず無理に押し込んでは百害あって一理なし。
足し算ばかりの弊害はあちこちで出てきているではありませんか。

スポーツ界で活躍するプロ選手、つまり身体を資本とする人の、食に対する意識の低さにも驚かされます。
海外のチームで活躍するサッカー選手を密着するドキュメンタリーで、記者の「食事で気をつけていることは?」との問いに「なるべく野菜をとるようにしています。」としきりに生野菜サラダを食べていました。

サッカーの技術や戦略では一流かもしれませんが、食事に関してあまりに無関心過ぎるように感じました。
「なんとなく」な印象で食事を決めている。
受けてきた教育や自明性を疑おうとしない。
さらに向上心をもって勉強しようという気概も感じられない。
これは個人ばかりの責任ではなく社会全体の責任であることは増永先生の言う通りです。

もっと言えばそうした自立できない大人をつくるのが学校給食から続く牛乳信仰と言う人もいます。
あらゆる生物で成長の過程で断乳しない動物はいない、さらに他の種の動物の乳を飲む動物など自然界にはありえない。
人間だけが大人になってからも他の種の乳を吸い続ける。それが現代教育でありニート増加の一因と。

その選手はなかなか結果を出せないとのことでしたが、早晩怪我かメンタリティに不調をきたすのではないかと危惧します。

やみくもに現代栄養学的にとかマクロ的にと批判するのではないのです。

増永先生の言うように土台となる生活と食は結びついていて、食はその指標になりうると思うのです。

生活とは「生を活かす」ということです。

生を活かせずしてフィジカルもメンタルもないと思うのです。

病気やケガを降りかかった災難だと他物のせいにすることは安易です。
子どもたちの夢であり目標となるスポーツ選手には、今一度再考願いたいと思います。

競技に注ぐ熱意の半分の量だけでも食に注いでくれたら、いかなる社会運動よりも強力な波及効果があるに違いないのですから。

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