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2010 8/31 (火曜日)

「変わること」と「治ること」の違い

こんにちは、こはりです。

『体が本当に治った場合には、心も正しく変わり、生活も正しく変わるはずである。これが本当の治し方であり、治り方である。そうしてその方法は、因をのぞく事、すなわち業を改造することである。』

とヨギ沖正弘は自身の治療家としての経験、また癌を患った体験からこのように悟ったという。

ブッダが悟ったことの一つに「因縁生起」があった。

あらゆるものは「因」という直接の原因と「縁」という間接的な条件がお互いに関係し合って生じたり滅したりする。
また、因が縁となることもありうるし、縁が他の因となることもあるということである。

つまり、今「病気」という結果をつくる原因となる「因縁」というものは、複雑に絡み合い一つに特定することなど到底できないと解することができる。

実際、医学が進歩しても慢性病を一向に治せず、また生活習慣病が増加していることが何よりの証左ではないか。

しかし、医療界では原因の特定に躍起となり、それですべてが解決されるように思っている節がある。

仮にも悟りを得た者でしか知りえないとされる因果の全容を、凡庸な庶民が把握するのは難しいのではないか。

ただでさえ、自分のことを客観視できず、日々反省の毎日を送っているというのに。

「いや、実際にある治療法で治った」と言う人がいるかもしれない。

しかし、謙虚に生命に向き合い、病気の真意を見定めると、病気や症状に対して、特定の原因を導き出し、それにある特定の方法を用いてアプローチしていくことの限界と危険性に気づく。

短絡的に決め付けることの危うさだ。

『心身に現れた異常現象は身についている不自然を自然にかえそうとする働きの現れであり、その不自然因は無意識の働きになっており、しかもこの不自然を解消する働き自身もまた無意識の働きの中にあるのである。慢性病は無意識内の凝固エネルギーの心身的表現、すなわちエネルギー消耗の方向が異常化していることであるから、そのエネルギー消耗方向をかえると症状もまたかわるのである。どんな刺激でもエネルギーの消耗方向をかえることになるから症状もまたかわるのである。であるから症状をかえるだけならどんな刺激でもよいわけである。』(沖正弘)

「変わること」と、「本当に治る」ことの違い。

症状が変わるので一見治ったかのように見える。

症状が見えなくなった、それは奥の方に隠れてくすぶっているのかもしれない。

治ったと早合点して、また同じような放埓な生活に戻し、かえってそれまでよりも病状を悪化させて命を縮めてしまうこともあるかもしれない。

本当に治したいと思ったら、ある一つの治療法に特定、依存せず、あらゆる角度から総合的にアプローチしていく必要があるだろう。

代替医療の泰斗アンドルーワイルは『最高の医療とは最小の侵襲で最大のプラシーボ効果をもたらすものである』と述べている。

表現の違いこそあれ、同じ事なのだと思う。

心も正しく変わり、生活も正しく変わる必要である。

沖先生もこう述べている
『治病にとって一番大切なことは、心を誤解による恐怖観念から解放すなわち離して、生活のあり方を改善し、身体の状態や心構えを全体的、且つ総合的に調整することによって、病気の自然的経過に協力することである。』

手技であれ、物理療法であれ、食養であれ、精神療法であれ、「治す」と思っている人間と「治った」と思っている人間との間で商売が成り立っているわけで、それにとやかく口をはさむのは無粋なのかもしれないが、本当に治る可能性、つまり自立心、主体性を奪っているのであれば安易に見過ごすこともできないだろう。

これは価値観や人生観に関わることかもしれない。

「なぜ生まれ、いかに生きるのか」ということだ。

この人生を自らの進化と向上のためと位置づけるのか、なんとか間に合わせて生きながらえればいいと考えるのか。

本当の「やすらぎ」を求めたとき、どうしてもこの問題を避けては通れなかった。

僕は少なくとも前者の生き方を選びたいと思っている。

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2010 8/23 (月曜日)

生を活かすということ

こんにちは、こはりです。

人間が知能を発達させ高度な文明を築いたというのは事実です。

エネルギーを頭脳に集中させることにより成し遂げたと言えると思います。

一方で犬馬などの動物は高度な文明を築くことなく思考すらしていないのかもしれません。
もっとも動物になってみなければわからないことですが。

人間と動物の違いはなんであるか。

エネルギーの利用方法が違うのではないでしょうか。

動物は生きるために必死です。

食べるために野山を駆け回り、空腹を耐え忍び食物を探し回わらねばなりません。

一方で人間は身の周りにあふれた食物をなんの苦労もなく手に入れることができます。

特に農耕が始まり備蓄が進むことによって顕著になりました。

現在で言うところの生活習慣病の始まりでもありました。

しかも、調理技術の進歩に伴い高度に加工された食品は、難消化の食材でさえ、肉体に負荷なく消化を容易にしました。

ますますエネルギーの温存が進みます。

狩猟採集に代わるものが労働であるという見方もできると思います。

しかし、現代の労働形態は科学技術の進展に伴い、全身運動を基本とする肉体労働からデスクワークを主体とした頭脳労働にとってかわりました。

エネルギーの頭脳遍在がさらに加速してくるわけです。

身体感覚をおきざりにした意識主導の思考が、現代人を特徴付ける、不眠、うつ、自殺願望を裏付けるのではないでしょうか。

過食、運動不足によるエネルギー過剰、その行き場を失ったエネルギーは、堂々巡りの悲観的な思考に結び付いていくのです。

エネルギーの一極集中がある面では物質生活を豊かにし、一方では精神生活を崩壊に導いているというジレンマ。

人類の功罪そのものでしょう。

高度経済成長を経て、物質的な豊かさは極まった感があります。

精神性への回帰は当然の帰結のように思います。

モノとしての肉体に価値を見い出すのではなく、エネルギーとしての身体に目を向け、その英知に学ぶ。

それがまさに現今流行するヨガブームの根底にあるのではないでしょうか。

そうした中でも、いわゆる現代人的なセンスでヨガのアーサナを解剖学的に切り刻んでいく潮流もありますが、それは進歩的なようで、ポーズ至上主義に由来しヨガの本質に背いた、身体を物質に収斂していくあり方です。

つぶさに観察すれば身体とは生命そのものです。

呼吸し脈をうち、意に反して病んだりします。

まったく人知を超えた自然そのものです。

その生命の声に真摯に耳を傾けていきます。

自然性の回復を臨む声が聞こえてはこないでしょうか。

意味のないことなど起こらないのだろうと思います。

否、すべてを因果のうちに肯定的に受け止め、活用することこそ、生命を尊重する姿勢であって、拝む心すなわち本当の信仰というものではないでしょうか。

他に依存し、原因を自分の外に見い出すあり方があります。

当然、薬物、外科手術が必要となってくるでしょう。

しかし、自らの内に生命の息吹を発見しないかぎり、根本的な病の治癒、ひいては永続的な心のやすらぎは訪れないと考えるのです。

酒を浴びるように飲むことを続けながら、霊験あらたかなご利益のある水を飲んだだけで肝臓が良くなるでしょうか。

あまりにも当たり前の理屈が、理解されない。
これを“病気”と言うのでしょう。

たとえ肉体が病んでも気だけは病ませない気概が必要ではないでしょうか。

大病してなお、安定した精神状態でいられることが肝心だということです。

いつでも心静かにいられるために、今からでも死生観を培っておくべきでしょう。

少食多動、時に断食をして、その生命をありありと感じてみる。

かけがえのない自らの生命に出会い、ギュッと抱きしめてあげたくなるに違いありません。

モノが豊かになって見えなくなったものがあります。

今こそ原点に立ち帰って、老いること、病むこと、死することを直視することで、生を輝かせていきたいものです。

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2010 8/22 (日曜日)

朝焼けの海

おはようございます。 YUNA です。

昨日の朝はほんのちょっとドライブして、赤沢海岸に行ってきました。

朝5時でまだ早いからって思ってたのですが。。。

なんと堤防のところに10人ぐらいの釣り人が?a

すごい早起き!!

朝食はきっと釣りたてのお魚さんなんだろうなって
勝手に想像して。。。。おなかすいてきて帰宅しました。Ф

朝焼けに染まる海が素敵できらきら光ってました
とっても気持ちよかったです。

ちょっと朝は涼しくなってすごしやすくなりました。

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2010 8/20 (金曜日)

朝のヨガ

こんにちは。YUNAです。

いつもあんまり続かない私ですが、

朝ヨガだけは続いています?a

朝早起きして~窓を全開にして~

ちょこっとヨガ?

朝の慌しさを一瞬でも忘れさせてくれるそんなひと時です。

なかなか忙しくて、自分の体に耳を傾けてあげられないので、
この時間をこれからも大切にしたいと思います。

いつまで続けられるか、楽しみです。

ちなみに私のちょこっとヨガの時間は 5分 なんです。

たった5分だけど~ぜんぜんその一日が変わってきますよ!!

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2010 8/19 (木曜日)

天与の尊い道がある

こんにちは、こはりです。

日々勉強です。

幸い僕は良い師にめぐり合えています。

これ以上ない最高の師と言ってもいいと思います。

現在は大沢先生の下で学ばせていただいていますが、それまでにも学問や合気道、指圧の世界、それぞれで一生慕い続けたいと思えるほどの師匠に出会う機会をいただけています。

僕は以前から信条としているものがあります。

『三年学ばんより三年師を選べ』

これは僕の若干の人生経験から、また様々な伝統技芸の世界に身をおいて切実に感じてきたことです。

修行が三年遅れるとも、三年待って良師を選べ、という主旨です。

それだけ初めの姿勢や心構え、道の基本や原理原則が重要だということを表しているのだと思います。

しかし、その師にめぐり合えるまで、まったく受動的であって良いというわけではないと思っています(これは恋愛にも通じるのかな?)

師の下で学べるだけの資質が身につくまで、機会が与えられないものなのではないでしょうか。

「機が熟す」といいますが、こちら側にある程度の準備ができたときに、最良のタイミングで出会いがあるのだと思います。

ある期間、思いを募らせ独学、実践し、知識欲、好奇心が最高度までに高まったとき、つまりスポンジが乾き切ったときに、「教え」という水が降り注ぐのでしょう。

ですから、出会いを「待つこと」も決して苦ではありません。

志を明確に持って、人事を尽くして天命に任せていると、おのずと道が開けてくるようです。

それが間違いかもしれませんが、僕は今までそうしてきました、そして今があります。

なので、今後もずっとそうしていきたいと思っています。

今日またヨガの師にめぐり合いました。

ずっと遠くから尊敬し続けてきた人です。

現在の治療家としての僕に先生はこうおっしゃいました。

「ただの修理屋になってはいけない、単なるサービス業でも終わってはいけない。教育的な面を学び実践しなさい」と。

つまり、短期的な視点で関与することで、人の依存心を助長するようなことをしては、かえってその人の幸せや健康を奪いかねないということでしょう。

いかにも総合的、ヨガ的であることの勧めです。

僕は治療家として歩みだしてから、ずっとその思いを抱き続けてきました。

これまでブログでも書き続けてきたことでもあります。

僕のことを「純然たる治療家ではない」という人がいます。

僕はそれに対して全く反発も怒りの感情も生まれませんでした。

ということは、自覚していたのでしょう。

技術を駆使して即物的に治して差し上げることができない。

否、それに重きを置いていない自分に。

「宗医一体」という言葉があります。

心と体の両面からのアプローチの重要性と言ったら要約し過ぎかもしれませんが、本来「医学者」は「宗教家」でなくてはならなかったということでしょう。

医祖ヒポクラテスの精神は今なお生き続けていると信じています。

医学の本質を突き詰めると、かならず心の問題、精神性から目を背けずにはいられなくなります。

現に医学の最先端を研究する超一流の医学博士の先生が、多分に精神的であることが裏付けています。

「治す治り方」「治る治り方」「治さない治り方」それぞれ科学的、哲学的、宗教的治療と表現できますが、どこを目指していくか。

僕はより本質的な道を進んでいきたいと思うのです。

それはなにより自分の人生の至上命題でもあります。

「なぜ生まれ、いかに生きるのか」

「人々の心身の平安と世界の平和のありか」

現代という混沌とした時代に生まれたからこそ、僕は光を求めていきたいと思うのです。

「師との出会い」という追い風に感謝しつつ…

【道】 松下幸之助
自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。

どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。

広い時もある。
せまい時もある。
のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか。

他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。

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