病気の原因として、肉体的な生活上の原因というのは厳然としてあります。
生活習慣改善が奏功する例ですが、ある特定の健康食品をとることでも、肉体への刺激となって、見かけ上の症状が動揺、変化するように見えます。
一時的な症状の消失をもって治癒とするならば、「○○を食べれば病気は治る」式のロジックは成立するのですが、病気の原因は往々にして、肉体と精神を横断した複合的なもので、心の使い方、誤った想念のもたらす病気であったならば、肉体への刺激のよってもたらされた一時的な変化としての肉体症状の消失があったとしても、完治ないし、病気を克服したことにはならないでしょう。
世の中には健康法や治療法はあまたありますが、それが心のあり方にまで及ぶものは少ないように思います。
病気の原因を肉体のみに還元し単純化することで編み出される、症状を変化させるためだけの刺激療法は、人々の唯物的な思考を煽りこそすれ、最も重要な己の心の領域に分け入る余地を与えません。
反対に心を強調する方法論には、あなたの心がこのように悪いから病気になったと決めてかかるものもあります。
唱導する側も、それに納得する側も、所詮、強者の理論に過ぎないと思うのです。
それは生まれながらの不具を無視あるいは軽視した薄情さをそこに感じるからです。
心の問題はあったとしても、それを自分や他人を責め裁く材料にしてはならないでしょう。
「病は気から」の真意は、良きにつけ悪しきにつけ、心がとらわれること、不安や焦りを覚えるくらいなら、詳細な分析はしないで、いつも朗らかに柔和でいた方がずっと良いと思うのです。
その点、断食の実践は、理屈抜きで感謝の閾値を下げるものです。
不安や焦りなどのネガティブな感情が、感謝の一念に置き換われば、見える世界が全く別物となることでしょう。
それに伴って、想念、行為すべてが改変され、病気が治るかもしれません。
たとえ治らなくても、その病気にすら感謝できる心境になりうる断食の真価を、日々現場に立ち会っている者として、あえて申し上げていきたいと思います。