「山の行より里の行」という言葉があります。
修験行者の心得として、山の修行で身につけた功徳を里で実践することを言ったそうです。
裏を返せば、自分だけの悟りを求めて突き進んでしまいがちな人情を表しているとも言えます。
妻子を捨て、山にこもって厳しい修行を行う。
尊い生き方にも思えますが、無責任な生き方とも言えなくもないわけです。
家族との調和をはかり、生活の安定のために働くという、当然のことを踏みはずして、その環境から逃げるように「悟り」「修行」の美名にすがりついていく。
よっぽど俗世間の悲喜こもごもの中にこそ、気づきや学びの機会があるのであって、人格を高めることになるという皮肉も混じっています。
旧来の断食ないし、断食施設というものは、「山の行」の要素があったことでしょう。
一定期間、日常から隔絶した環境で、自らに厳しい断食を課すことで、肉体的な健康を回復したり、精神を研ぎ澄ますことを期待していました。
その点、「やすらぎの里」は日常生活の理想のあり方を提案し、それを身をもって実践していく場であり、きわめて「里の行」的と言えましょう。
日常を離れながらも、生活感のない現代人にとっては、むしろ里よりも里らしいがために、「やすらぎ」を感じるのかもしれません。
「あたりまえ」という「やすらぎ」
「全人格的な生活観」を提案するのが「やすらぎの里」であって、その名にふさわしい「里の行」が日々行われているのです。