食生活が乱れる原因は各自様々でしょうが、一般的に、多忙で心に余裕のないとき、家庭や職場、人間関係のストレスを感じたとき、食生活をはじめ生活習慣が乱れる傾向にあるのではないでしょうか。
思い通りに物事が運ばないことで、成就しない思いが募り、無力感や屈辱感を感じます。
それでも生きる希望を見出したくて、人々は別の行為に代替してでも満たされようとするのだと思います。
つまり、人々を突き動かす原動力に「満たされない思い」が根底にあるということです。
そして、「食べること」に代替すれば、肉体が必要とする以上に食べてしまうことも説明がつきます。
ビタミンやミネラルなど現代人に不足しがちな栄養素が不足すれば、当然それを求めて食欲が旺盛になるでしょうし、心の面でも不足があれば、それを満たそうとする欲求が生まれても不思議ではありません。
たまたま選んだ手段が「食べること」であったということです。
しかしながら、身の回りにあふれ、手軽なものであるだけに採用されやすいわけです。
適量にとどめられれば、それほどリスクは伴わないかもしれませんが、往々にして限度を越え、過食症や拒食症、肥満や生活習慣病の原因となってしまうようになります。
「食べること」の難しいところは、一切食べないでいられれば潔いものの、生きる上で必須の行為であって、中途半端な抑圧も危険な反動を生む性質上、それを抑圧や禁止という手段ではなく、より健康的でなおかつ心の栄養になり得るあり方へと止揚させていくことが求められるでしょう。
何を食べるか(食材の選択)
どのように食べるか(食べ方)
この両者が重要になるということです。
さらには根底にある「満たされない思い」をいかに処置するかということも、根本的な解決には欠かすことができません。
心身の不足を補って、円満な生活習慣を形作るのです。
東洋思想を借りれば、「天地人三才思想」があります。
天の気と地の気が調和して人は生まれたとする生命観ですが、この天の気と地の気を現代的に解釈し、人の気を円満ならしめることができるのではないでしょうか。
個人的な解釈を許されれば、天の気は頭上や空中にあるものとして、空気、太陽といった自然界の恵みを一身に受けること。
そして、太陽の運行に沿ったライフスタイルの確立、これは生得的な自律神経のリズムに垣間見えるバイオリズムを尊重するということで、朝から午前中を活動の中心にして、午後から夜にかけてリラックスして熟睡にいたる生活習慣を遵守するということです。
さらには、人間にとっての自然性を担保する想念や思想の涵養も、現代社会を特徴づけるストレスフルな環境で、なお安定的な精神状態を保つ上で必要となるでしょう。
地の気としては、筆頭に食物があります。
大地の気を集めた食物から得られる栄養、滋養、エネルギーは、生きる上で欠かすことはできません。
さらには大地そのもの、大自然から得られるエネルギーを、自然浴、森林浴という形で受け入れることも大切でしょう。
「歩くこと」が単なる運動にとどまらず、そうした外界からの気を取り込む方法と考えれば、より有意義に楽しめるのではないでしょうか。
身体感覚としての「丹田」の充実も、大地との関わり方の象徴的な感覚として養うべきでしょう。
「地に足がつく」ことで精神もおのずから安定していきます。
さらに人間存在の本質を見たとき、人と人との間での交歓というものが、喜怒哀楽、悲喜こもごもの人生を彩っているということも無視できません。
もちつもたれつ、支え合って生きることを肯定し、孤立無縁を否定することが、人間としての矜持をもって生きることなのではないかと思います。
人の気としての、手当て、ぬくもり、ケア、コミュニケーション、それらを裏打ちする愛を互いに発露する場や機会を多く持つということです。
観念的な説明に終始しましたが、枝葉末節の小手先のテクニックではなく、心と体を横断する総合的な実践なくして、本当の意味での生活習慣の改善、ひいては人生の好転はないと考えたからです。
永続的な生活習慣改善の足がかりとして、機会提供の場をつくりたいと切に思っています。