(大雨が降った後は幻の滝と言われる“対島の滝”の迫力が増します!)
こんにちは、高原館のくさむらです。
4月18日本館で開催された、
「お坊さんから教わる目覚めのリトリート」
に参加させていただきました。
講師を務めてくださったのは、
なんと”フリーランス”のお坊さん、入山文章さんです。
2時間半ほどのお話でしたが、とても充実していて、気づき満載の時間でした。
どんなお話だったか、皆さんにとも共有できたらなぁと思い、
ブログを書いてみることにしました。
「生きていることって息が詰まるんですよ」
そんなお話から講座がはじまりました。
以下、入山さんのお話から大切だなと思う部分を抜粋して書いていきます。
なぜなら、思うようにいかないから。
余計なことを考えてしまうから。
そうなると、身体に意識が行かなくなるんです。
瞑想をするとどうなるか。
意識が変わります。
脳の働きが変わります。
意識するというのは認識していることです。
瞑想を考えないこと、って思っている人が多いですが、
「気づく」のが瞑想です。
つまり、自分を見ることです。
楽に座って、楽に呼吸して、自分を見ていく。
身体の感覚や心の感覚をよ〜く見る。
自分を深く見るトレーニングをします。
とても大切なのは、感覚の「はじまり」を見ることです。
この不安はどうやって起こったんだろうか?というように。
思い込みというのはなんなのかというと…
「自分がやっている!」というのが思い込みです。
その思い込みから事実を解き明かす、これが目覚めです。
感覚の「はじまり」を見ることが大切だと言いました。
でも、はじまりって見つからないんです。
何故なら無意識にはじまっているから。
洞察力のトレーニングが大切です。
洞察力がついてくると、思い込みはこうなっているというのが分かってきます。
「何もしていない自分に気づいた」
これがわたしの目覚めです。
念と瞑想と気づき、これからは同じです。
身体の感覚、心の感覚、感覚のはじまり、これらを観察すること。
思考を手放すことはありません。
思考も上手く使って瞑想をすれば良いのです。
「はじまりはどこだろうなぁ〜」と観察していき、
洞察力のトレーニングをします。
見ることと、考えることは、両方必要です。
瞑想はより良く生きるためのものです。
人は三大損失をしています。
1.くよくよ
2.罪悪感
3.不安
これらに気づくだけで良いのです。
やめようとしなくて良くて、気づくだけでいい。
普段はぼんやり片付けてしまっていて、一つ一つを見ていません。
不快な感覚は見たくないですから、向き合えません。
くよくよしてるな…というときは、
瞑想のチャンス!自分を知るチャンス!です。
解き明かされていくと、嫌じゃなくなります。
つまり、自分を見るというのが瞑想です。
よく観察してください。
何なんだろうな、何なんだろうな、何なんだろうな…と。
一つ一つの発見が目覚めです。
自分を見ていくと、自分が一生懸命だということも分かってきます。
ダラダラしている自分も、
仕事行きたくないな・・・と思っている自分も、
お皿洗うの面倒だなと思っている自分も、
一生懸命だという事がわかります。
気づきをちゃんと掴んでいくことが大切です。
感覚の「はじまり」が大切と言いました。
思ったはじまりを見極める。
そうすると、こうなったらこうなる、しかないことに気づきます。
自分はひとつの自然現象です。
風や草木と大差ありません。
後悔した過去の選択が自然現象であったら、責めようがなくなります。
よ〜く見ると、全て自然現象、自分も自然現象。
認識は後からついてくるものです。
日常の全ては観察対象になります。
瞑想を続けると、迷わなくなり、前向きになります。
解き明かしていく楽しさがあります。
外側の世界は全部自分の認識です。
以上がお話からの抜粋です。
次回、このお話を聞いて、わたしが気づいたことを書いてみようと思います。