やすらぎの里の大沢です。
昔の日本には、年に二度、
立ち止まって心と体を整える時間がありました。
6月30日の「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」。
そして、12月の「年越の大祓」。
半年ごとに、
知らず知らずのうちに積もった穢れを祓う。
奈良時代から続く、日本古来の習わしです。
今年の夏越の大祓まで、もう少し。
この節目に、「穢れを祓う」ことの本当の意味を、
少し考えてみたいと思います。
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穢れとは、「気が枯れた状態」
穢れ(けがれ)と聞くと、
悪いことをした、
汚れている、
そんなイメージを持つ方が多いかもしれません。
でも、古来の日本では、
穢れを「気(ケ)が枯れた状態」と読み解く考え方があります。
元気の「気」が、枯れていく。
生命のエネルギーが、しだいに萎んでいく。
それを、穢れと呼んできたのかもしれない。
疲れが抜けない。
頭の中が、いつも騒がしい。
つい食べすぎてしまう。
人と比べて、自分を責めてしまう。
そんな、本来の自分から
少し離れてしまった状態。
それが、穢れなのです。
穢れは、悪いものではない
現代社会で生きていれば、
情報があり、
人間関係があり、
仕事の責任がある。
穢れは、悪いものではなく、
生きていれば、自然と積もっていくもの。
誰にでも起こることです。
もしかしたら、穢れの正体は、
外側に合わせすぎた、自分なのかもしれません。
空気を読む。人に迷惑をかけない。
期待に応える。和を乱さない。
どれも、日本人が大切にしてきた美徳です。
でも、その一方で、
本音を飲み込み、
「まだ足りない」
と頑張り続けてしまうこともあります。
穢れとは、
怠けたことでも、
悪いことをしたことでもなく、
外側に合わせ続けて、
本来の自分の声が、
少し聞こえなくなってしまった状態
かもしれません。
では、「祓う」とはどういうことか
何かを足すことではなく、
本来の自分を覆っているものを、
そっと、手放していくこと。
断食も、そうです。
食べないことで、体を追い込むのではなく、
胃腸を休ませ、
感覚を静かにして、
本来のリズムを思い出していく。
温泉。
森の散歩。
食べる瞑想。
すべて、「頑張って良くなる」ためではなく、
「元の自分へ戻る」ための時間です。
だから、人は、
断捨離をしたり、
湯治をしたり、
神社へ行ったり、
断食をしたりするのでしょう。
強くなりたいからではなく、
成功したいからでもなく、
まとわりついた何かを脱ぎ捨てたいから。
頭を空っぽにしたい。
誰の期待にも応えなくていい時間がほしい。
「この自分でいい」と感じたい。
そんな願いが、
心のどこかにあるのかもしれません。
老子の「無為自然」が教えてくれること
東洋思想に「無為自然(むいしぜん)」
という考え方があります。
老子が説いたこの言葉は、
「何もしない」という意味ではありません。
宇宙の流れに逆らわず、
余計な力みを手放すことで、
生命が本来持っている力が
静かに働き始める。
そういう意味です。
生命には、もともと、
自然に整おうとする力がある。
でも、頑張りすぎたり、
考えすぎたり、
情報を入れすぎたりすると、
その力が働けなくなる。
だから、余計なものを減らす。
止まる。安心する。
すると、本来の力が、
静かに働き始める。
断食は、現代の「祓い」の儀式
やすらぎの里での断食は、
その意味で、
現代の祓いの儀式なのかもしれません。
やすらぎの里での日々は、
そのひとつひとつが「手放すための時間」として設計されています。
食べない。
スマートフォンから離れる。
自然の中を歩く。
温泉に入る。
お味噌汁をゆっくり味わう。
余計なものを、少しずつ減らしていく。
すると、
「こうしなきゃ」より、
「こうしたい」が聞こえてくる。
「もっと頑張らなきゃ」より、
「もう十分頑張ってきた」と思えてくる。
そして最後には、
「何もしなかったのに、なんだか満たされている」
という感覚になる。
6月30日は、夏越の大祓
穢れを祓いたいという願いは、
悪いものを追い出したい、ということではなく、
本来の自分に戻りたい。
そんな、心の奥の願いなのかもしれません。
半年の節目に、
少し立ち止まって、
心と体についた余計なものを、
そっと手放してみる。
そんな時間を持ってみませんか。
——
「整える」とは、何かを足すことではなく、
少し、手放すことかもしれません。
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