世にあまた食事療法がありますが、各人の体質に合致してこそ効果が上がるのだろうと思います。
その反対に体質を無視して画一的に行うのであれば、テクニカルな食事療法であるほどに害にしかならないでしょう。
同時に、食物を消化し栄養を吸収する内臓機能があってこそ、食事療法の効果が発揮されるのだという観点も必要ではないでしょうか。
力強い内臓機能なくして、食物の栄養を余すところなく活用することができないということです。
日本においても戦前、戦中は、きわめて粗末な食事でありながら、現代人以上の体力を発揮した人が多かったように思います。
一方、我々現代人は、公共交通機関の発達や、家電製品の普及で運動不足、筋力低下が慢性化しています。
その前提を考慮に入れずに、食事でのみ効果をあげようと考えることは、いたずらに内臓を酷使するばかりで根本的な解決にはならないのだろうと思います。
いかに高栄養の食品を食べても、それが消化しきれず吸収されなければ、利用されないばかりか、その過程で内臓が疲弊してしまうことになりかねません。
それでは、内臓機能を高め、食事療法の恩恵を十分に受けるにはどうすればいいでしょうか。
まずは「完全な空腹」をつくることです。
さほど空腹でもないのに、時間が来たから食べるといった漫然とした食生活では、内臓の受け入れ態勢を無視した食事法といえます。
乾いたスポンジほど水をよく吸うように、飢餓感というものが、旺盛な吸収力を裏付けるものだと思うのです。
そのためにできることは、体を使い切るということです。
全身くまなくダイナミックに動かす機会を作りたいものです。
なぜなら、我々現代人はデスクワーク、頭脳労働主体であり、体の一部分を酷使することが多く、偏った疲れ方をしているからです。
それに加え、パソコンによる昼夜を問わない至近距離からの光の刺激は、脳や神経を異常興奮させ、早晩不眠や自律神経失調症状を呈していきます。
こうした脳、神経系統に限局した働き方は、内臓機能の低下も引き起こすのではないかと考えます。
血液の配分からも理解できます。
人間の体は使っているところに血液が集まるようにできています。
それは血液によって運ばれる酸素が活動に必須だからです。
つまり、頭や目を酷使するということは、身体でも上部、特に頭部を中心としたエリアに血液が集中することを意味しています。
その反対に体幹部や下半身の血液は相対的に減っていくということです。
この事実は、内臓の貧血、酸欠状態であり、内臓機能低下以外のなにものでもありません。
古来、東洋医学でも「思えば脾を病む」と言いますが、思考に偏ると栄養を吸収できないことを見抜いていました。
このような状態では、食事から栄養を吸収しようにもままならず、体力は低下し、ますます全身運動を敬遠するという虚弱な状態へと進んでいきます。
一面、サプリメントが功を奏するのも、食物から栄養を吸収できないほど弱った内臓でも、人工的に精製された形であれば吸収することができるということでしょう。
一時的にはサプリメントを活用することを否定しません。
しかし、長期的に常用した場合、ますます内臓の吸収力を弱め、人工栄養しか受け付けなくなるようになるでしょう。
鍛えることを怠り過保護になれば脆弱になるのは、すべての事象に共通することです。
以上見てきたように、現代人の病理というのは、社会的な要素もたぶんに含みながら複雑化しています。
栄養をたっぷり取ればいい、その反対に、ひたすら断食すればいい、といった単純明快な刺激では解決できなくなっています。
「補うこと」「鍛えること」この二つをうまく組み合わせながら、時間をかけて取り組んでいくことが重要でしょう。