2010 3/25 (木曜日)

断食を終えて

こんにちは、こはりです。

空腹をめいっぱい味わうことで、理屈ぬきで「食のありがたみ」が身にしみます。
半日とか一日とか、ごく短時間の断食でも精神的な効用は計り知れないものがあります。

月一回でも週一回でも普段の生活の中に組み入れれば、食に対する構えが、ひいては生き方が着実に変わっていくにちがいありません。

人間は類まれな想像力を持っています。一方で忘れていく生き物でもあります。

恵まれない境遇にある人々に思いを馳せ、周囲にあふれる愛に気づき、今こうして生かされていることに感謝する。
それを常にできれば、人をねたんだり、意地悪したり、やみくもに嘆き悲しんだりすることはなくなるんだろうと思いますが、なかなか安定しないのがまた未熟な人間というものです。

考えてみれば、何事も上達のためには地道に小さなことを繰り返し積み重ねていくことが必要です。

同様に、自分にも、他人にも、そして地球にも、やさしくするためには練習が必要なのでしょう。

つまり、自他の愛を思い出すための「断食」を行うのです。

それはしゃちこばった「よそいき」ではなく、生活の一部となりうる「スタイル」です。

不安や卑屈のままにもがき苦しむ断食ではなく、マインドフルネスなほほえみとともに空腹を噛みしめる断食にしていきたいものです。

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2010 3/22 (月曜日)

断食のススメ

こんにちは、こはりです。

ケガや病気、普段の生活で感じるちょっとした不調に、改めて断食をおすすめしたいと思います。

と申しますのも、自分自身、数日下唇の口内炎に悩まされています。
腹を触るとへその周りに硬結があり、額とこめかみにはかゆみを伴うカサカサした湿疹ができています。

腸の疲れや老廃物が皮膚を介して排毒されているようです。

経絡的にいえば肺ー大腸経で、外界との交流は呼吸器とともに皮膚呼吸も含むと考えられています。

冬は寒さに耐えるため、いろいろなものを溜め込む体になっていますが、
寒さがゆるみ春の訪れとともに、つぼみから花が開くように、人間の体も骨盤を中心として開いていき、余分な老廃物や体内毒素を排泄するようになります。

この排泄力の旺盛になる心身好転のタイミングに合わせて、断食することは生命の働きに後押しすることのできる絶好のチャンスといえるのです。

普段かえりみられることのないこの我が身に、たまには感謝の気持ちをむけてあげてもいいのではないでしょうか。

そして、その感謝の気持ちを行動に移したものが「断食」に他なりません。

かくいう自分も、体の排泄を力づけるべく、今日から断食をさせていただきます。

普段「どうせ治らないだろう」と、だましだましやり過ごしている体の痛みや不調。

炎症や腫れ、痛みを生命の自然な働きと肯定的に考えれば、治ろうとする力に後押しさえしてあげれば、治っていくのが必然だと思います。

ただ、改善の余地が食事、運動、呼吸、姿勢、精神活動といった生活全般に及ぶため、躊躇しているか、怠惰のあまり病でいることを好んで安住しているのかもしれません。

人間というのはつくづく儚く弱い生き物なのだと思います。

そのために病があって、身をもって思い知らされ、発破をかけられ行動、実践のモチベーションを喚起するのかもしれません。
そのように考えれば、それは単なる苦しみではなく、本当の幸福を見据えた無償の愛のムチとして、これを受け入れられるようになるかもしれません。

病気や痛む部分を悪い部分とみなし、その局所に治療を施す。
人の手を借り、それを治してもらう。

いずれも病を単なる苦しみとして、受け止めていることから生まれてくる発想です。

これによって一時的に症状が消えたかのように思えても、また再発するでしょう。
それは原因が取り除かれていないことによる因果応報、自然の理といえます。

根本的に治し、病気を契機として、さらに豊かな人生を得ようとすれば、おのずと自己を省み、生活を見直し、ひとつずつ実践をしていく他に道はないといえるでしょう。

その足がかりとして断食は、内観を促す意味でも有意義ではないでしょうか。

断食で「治す治し方」から「治さない治し方」へ。

それは真の幸福へと近づく偉大なる一歩だと思うのです。

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2010 3/21 (日曜日)

アンパンから頂門の一針

こんにちは、こはりです。

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ!みんなの夢 まもるため

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

そうだ おそれないで
みんなのため
愛と勇気だけがともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる
光る星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああアンパンマン
やさしい 君は
いけ!みんなの夢 まもるため
(♪アンパンマンマーチ)

テレビから流れるこの歌詞を改めて読んでドキッとした。

やなせ先生は今でこそ日本を代表する児童文学作家だが、その人生は順調とはいえず、晩年になってから日の目を見た。

その歌詞に託された想いをどう汲み取ろう。

アンパンマンの心の闇には孤独感、無常観が貫いている。

この世に生まれ落ちて肉体を持った存在の普遍的な孤独を。
そして生きることに伴う普遍的な苦しみを。

ならば、ありのままに受け入れて、

今を生きよ!

癒えない傷があるならいっそ引き連れて。

“ともだち”を失ってはいけない。

敵は自分の中にこそある。

物心つかんとする年代の子どもたちが、この詞に触れられるこの国はまだ捨てたものじゃない。

哲学があるか。

僕はこの年齢になってやっと気付いた。
やなせ先生が託した想い。

アンパンマンは君だ!

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2010 3/16 (火曜日)

合掌から始めよう

こんにちは、こはりです。

ヨガでは「生命の働き」を「バランス維持回復の働き」ととらえます。

ですから病気と思えるものは、生命が「誤った生活を改善し、心身を浄化改造しなさい」と教えるメッセージと考えるのです。

ゆえにヨガは「自然性の回復」を目指し生活全般を見直していく営みといえます。

その具体的な方法の一つとして、自然法則に順応した生き方とは何か、身体の声に耳を傾けていくわけです。

生命が喜ぶことが、すなわち自然となります。

呼吸が深まり、脈が落ち着いてくることによって表されるものです。

しかし、人間は動物と違って文明生活を営んでいます。

そこに心身の過保護や無理などの不自然が生じてくるわけです。

とはいえ、現実的にはそれを全く排除した生活、つまり文明との決別など考えられません。
良しにつけ悪しきにつけ人間はここまで進化してきました。

ですから、今の生活と折り合いをつけながら、少しずつ自然な方向へ、また同時に不自然に対して、自分の心身をある程度順応できるように鍛えることも必要でしょう。

人間が野生動物と明らかに違うところは、意図して順応性を高められるところにあるに違いありません。
だからこそ今日の文明があるともいえるわけです。

それでは具体的に健康体の定義となりますが、ヨガでは生理的には「丹田力」を高めることが重要になります。
西洋医学的に言えば自律神経とホルモンの働きを高めることにつながります。

そのために古来より「呼吸」が重視されました。特に丹田を意識する「腹式呼吸」です。
「肚をつくる」ことに心血を注いできたのが、わが国を含む東洋の健康法の歴史です。

さらに精神面では「仏性力」を高めることに力点が置かれます。

他の動物にはなくて人間だけが持っている「良心」とか「心身のコントロール能力」のことです。

その二つが高まると「三昧力」がついてくるといわれます。

「拝む心」と言ったらいいでしょうか。
これはすべての物事を感謝のうちに肯定し活用できる心のことです。
何をするにも心身が統一されて、喜び楽しんでできる境地です。

こうなれば仕事も家庭も含めて生活すべてがストレスフリー、むしろ健康法になり得ます。

以上、なんだか健康法の範疇を越えたように思われるかもしれませんが、そこまで見据えて健康を再定義していくことで、より生活に即した身近な実践方法が明確に浮き上がってくるように思います。

つまり、世の中にあふれる玉石混交の情報の中から正しいものを選び出し実践していく術を知ることです。
それも、肉体と精神を含みこんだホリスティックなあり方へのシフトを意味します。

ところが心の重要性を理解しても、目に見えない心を整えるのは至難のことです。

ですから昔から、まず身体からアプローチしていく知恵(型)が培われてきました。
これは現代においても変わらないでしょう。

否、科学技術が進歩した現代だからこそ、この血の通ったぬくもりのある身体に積極的に目を向けていく意味があるに違いありません。

ヨギ沖正弘は「生命即神」と喝破しました。

人間の根源的な苦しみとされる「生老病死」に光を射すはずの神が、他でもない我が身に宿しているとすれば、これほどの福音はないでしょう。

自信と勇気を取り戻して。

今からでも、身体の声に耳をすませ、自己と神を「結ぶ=ヨガ」をしてみませんか。

そのぬくもりに静かに手を当てれば、今すぐにでも

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2010 3/9 (火曜日)

僕を突き動かすもの

こんにちは、こはりです。

僕が健康法を求め、しきりに言及しているのには理由があります。

ただいたずらに、それをペダンチックにもてあそんでいるわけではないのです。
いわずもがな、単に自分だけ健康で長生きしたいなどという手前勝手な論理でもありません。

僕は東京の下町に生まれ育ちました。
土地柄、戦争の名残を肌身で感じることができました。
それは東京大空襲(1945年3月9日未明)で親族を亡くし、またその壮絶な体験談を祖父母に聞かされて育ったということもあります。

また幼少期、反戦思想のコミュニティと接する縁があって、一層戦争に対するえもいわれぬ恐怖感が植えつけられていきました。

焼夷弾が無辜の市民に向けて投下される映像、原爆に被爆し全身ケロイドを負った人々の写真など、目にする機会が多かったといえます。

見せられる映画は「火垂るの墓」をはじめとした反戦ドキュメンタリー映画。

いつしか僕は心細い夜の寝床で「今、戦争が起こったらどうしよう」「突然空襲が来たらどうしよう」そんな思いに駆られるようになりました。

周囲から見たら幼稚な妄想だと思われるでしょう。
しかし、その当時の僕にとっては切実な悩みだったのです。

大学で国際政治を専攻したのも、常識で納得させても地下水脈でうごめくような幼少からの不安を解消するためだったのかもしれません。

そして大学で学んで気づいたことは「何の理由もなく戦争は起きないこと」

一方で「人類の歴史は戦争を繰り返し、今もなお惨劇が止まないこと」

幼少から引きずっていた無知による稚拙な恐怖感は取り除かれても、あまりにやりきれない現実に対する愕然とした思いが残りました。

政治システムで平和を構築しようとする人類の試みも学問的に知ることができました。

しかし、いまだ実現されないのは政治の担い手が紛れもなく人間であって、その人間の心にこそ原因があるのではないかと気づき始めるのです。

いかに反戦平和を望む人がいても、戦争を好む人がいれば戦争へ突き進んでしまう。

欲望や利権にまみれた現実から逃避するように、平和に対し一見逆説的な武道を通して平和のあり方を学んだりもしました。

そんな折、この言葉に出会うことになるのです。

「平和の問題は必ず食の問題にぶち当たる。平和のメロディーは食生活の中で鳴っているんだ」

食養家桜沢如一の言葉でした。

今の今まで食に無頓着で悪食を極めていた自分がいました。
だからこそ身にしみる真理でした。

本質に迫れば、人間の心に尽きる。

そしてその心を穏やかにもし険悪にもするもの。
それは日々の生活で欠くことのできない絶えざる食の影響力でした。

「人間にとって自然なあり方とは何か?」

この疑問が僕の原動力であり、知的好奇心の源になっているのです。

「弱肉強食」であっていいはずがない。

野生の動物がそうであったとしても、人類だけは調和と共生のうちに気高く生きてほしい。

そんな願望に近い祈りが僕の心を突き動かしているのです。

現在つかの間の非戦時を享受している日本。

先人の悲劇の上に築かれた繁栄。

はたして人類は何を学んだのだろうか。

同じ惨禍を繰り返さないために。

口はばったいですが、僕はこの身を通して「愛」に至る道程を切り拓いていければと思うのです。

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    3泊4日 48,510円

料金には、宿泊、食事、面談、マッサージ、カッピング、温泉、講座、ヨガや瞑想などが含まれています。

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