こんにちは、こはりです。
ヨガをやりはじめて、我が師増永静人先生の開発した経絡体操の見方が変わってきました。その真価がわかり始めたと言いましょうか。
最近出た若者向けのマクロビ入門書でも経絡にちなんだ体操として、増永式の経絡体操がそのまま使われていました。
本物は時代を超越するなと。
健康増進に、スポーツにおけるパフォーマンスアップに、俄然真価が発揮されてくることでしょう。
増永先生の著書「家庭でできる指圧」にこんな記述がありました。
『先日も競輪の選手が、生命である膝を痛め、いくら膝のマッサージをしても治らないといってきました。膝を痛めたからといって、膝だけが悪いのではないのです。腹部を診ると精神的なあせりもくわわって、消化吸収の力が衰えて硬くなっています。それは腰にも影響して、足の動きに関係深い腰臀部の筋も硬化しています。もちろん、腕から頸、肩までカチカチになってしまっています。「ふだんの倍も練習しているのに、少しも成績があがらない」といいますが、「こんな身体では、疲労がくわわるばかりだから当然ですよ」と教えて、全身の硬くなったところを指摘しながら、あせりは、かえって身体に悪いことをさとらせました。スポーツの生活は、つねに成績をよくし勝たねばならない、という精神的圧迫との戦いでもあり、それが努力につながる反面、身体的なゆがみを作ります。この無理な力が、いちばん酷使する肉体の部分に障害となってあらわれるのです。』
野球の松井も膝の手術をしたみたいですが、膝の部品交換だけでは根本治療にならないのが機械と人間を分けるところです。
こころもからだもまるごと全体含めて人間という存在です。
実際僕が臨床の場において感じる膝を痛める人の特徴といえば、糖尿病で運動不足で頭ばかり使って悩んでいる人が多いです。
頭ばかり使うと甘いものがほしくなります。そこで砂糖をとると頭が冴えすぎてさらに使うようになる。悪循環です。
経絡的には脾が虚していることによる一連の症状です。
陽性食過多は右に、陰性食過多は左に出やすいとも言います。
膝関節が器質的に変化しているというよりも、毒素がそこにつまるようなイメージの方が近いように感じます。
内臓ひいては生活習慣とも分かち難く結びついているわけです。
増永先生は食について
『食は生命なり、といわれるのですが、心正しからざれば、食自ら悪し、というわけでして、最近の食毒の氾濫は、まさに社会の正心が失われている結果です。食毒が肝臓を冒すことは最近の研究でも明らかてすが、その急激な増加は社会責任に負うところが大きいわけです。しかし見かけの色や味付けに迷わされ、嗜好品やアルコールを過剰に好み、必要以上の過食でさらに食毒を増すのは、やはり個人の心がけの問題でしょう。いたずらに食物の恐怖に悩まされるより、社会的にこれを改善する運動と同時に、自然の正しい味覚をよみがえらせる正しい生活を根本におきたいものです。正食の根本を、こうした精神において、自然食品や食養法の推進には、社会的な協力のもとにすすめる必要があるでしょう。』
30年前に書かれたにも関わらずまったく色褪せず、むしろ冷静な分析と卓見は現代を生きる人間にそして社会に鋭く突き刺さります。
今、ある野球選手がテレビCMで、朝からカレーを食べようなどと宣伝しています。
生産者にも消費者にも悪気がないのが、かえって情けなく思います。
彼は過酷な肉体労働だから良いのかもしれませんが、一般の人が安易に真似をして胃腸を壊さないか心配なところです。
さらに国をあげて「朝食を食べよう」といったキャンペーンをはっていますが、その日の体調や個体差のある体質を省みず無理に押し込んでは百害あって一理なし。
足し算ばかりの弊害はあちこちで出てきているではありませんか。
スポーツ界で活躍するプロ選手、つまり身体を資本とする人の、食に対する意識の低さにも驚かされます。
海外のチームで活躍するサッカー選手を密着するドキュメンタリーで、記者の「食事で気をつけていることは?」との問いに「なるべく野菜をとるようにしています。」としきりに生野菜サラダを食べていました。
サッカーの技術や戦略では一流かもしれませんが、食事に関してあまりに無関心過ぎるように感じました。
「なんとなく」な印象で食事を決めている。
受けてきた教育や自明性を疑おうとしない。
さらに向上心をもって勉強しようという気概も感じられない。
これは個人ばかりの責任ではなく社会全体の責任であることは増永先生の言う通りです。
もっと言えばそうした自立できない大人をつくるのが学校給食から続く牛乳信仰と言う人もいます。
あらゆる生物で成長の過程で断乳しない動物はいない、さらに他の種の動物の乳を飲む動物など自然界にはありえない。
人間だけが大人になってからも他の種の乳を吸い続ける。それが現代教育でありニート増加の一因と。
その選手はなかなか結果を出せないとのことでしたが、早晩怪我かメンタリティに不調をきたすのではないかと危惧します。
やみくもに現代栄養学的にとかマクロ的にと批判するのではないのです。
増永先生の言うように土台となる生活と食は結びついていて、食はその指標になりうると思うのです。
生活とは「生を活かす」ということです。
生を活かせずしてフィジカルもメンタルもないと思うのです。
病気やケガを降りかかった災難だと他物のせいにすることは安易です。
子どもたちの夢であり目標となるスポーツ選手には、今一度再考願いたいと思います。
競技に注ぐ熱意の半分の量だけでも食に注いでくれたら、いかなる社会運動よりも強力な波及効果があるに違いないのですから。
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いつの間にか常連になってました(笑)