(お花は咲こうとして咲くのではなく咲くときに咲きます)
こんにちは、高原館のくさむらです。
目覚めのリトリートで得た気づきの続きです。
・洞察力のトレーニングは大切
自分のことは自分がよくわかっている。
そのことがすでに思い込みなのだろうなと思いました。
普段外側にばかり意識が向いていて、その間、
自分を感じられていません。
自分をよく見る、それをしている時は、
頭の中には自分しかいないはずです。
だけれど、普段わたしの頭の中には自分と自分以外の人がいて、
昨日の光景を思い出して失敗したなぁ…と悔やんでいるとか、
もしくは、まだ起こってもない先のことを想像して、
大丈夫だろうか…と不安になるとか、
そんなことばかりが行われています。
目の前に広がる現実にはわたしと他の人との交流があります。
わたしの頭の中では、たとえ一人の時でも、
その交流が続いているんだなぁと気がつきました。
現実でも頭の中でも、誰かと交流し続けていたら、
いつまで経っても自分をよく見ることが出来ません。
誰かと交流する、それは当然自分の思い通りにならないことが多いです。
思い通りにならない現実を、
一人になっても頭の中で再現し続けている自分に気が付いて、
それでは疲れてしまうのもしかたがないよなぁ、そんな風に思いました。
・感覚のはじまりを見る
この表現にわたしの頭は「?」でした。
カンカクノハジマリってナニ?
入山さんは、例えば不安になった時そのはじまりをよく見てみる、
と表現されました。
不安のはじまり…。
考えてみてもよくわかりませんでした。
その日は大雨が降っていたので高原館の雨漏りが心配でした。
でもそれを不安に思ったはじまりを探してみても、よくわかりません。
大雨の降る様子を見て、ふと雨漏りが不安になった。
大雨がきっかけとなり、
そこから思考が高原館へ繋がったとでも言いましょうか…。
そうなると、感覚のはじまりは、
五感が刺激されたのをきっかけに発生するのかな、そんなふうに思いました。
大雨の降る様子を見ることは無意識にしていますので、
そこはコントロール出来ないように感じます。
はじまりをよく見てみたら、たしかに入山さんの言うように、
見つからなくて、無意識にはじまっていることに気づきます。
次回はわたしが衝撃を受けた「自分も自然現象」についての感想です。