(こんなに近寄っても起きないうみさん。強風にお疲れの様子です。)
こんにちは、高原館のくさむらです。
頭の中でいろんなことを考えていても、
冷静に判断することは難しい。
最近よく思うことです。
自分の頭の中を観察してみると、
そのことが良くわかります。
緊急事態宣言が出されて、
インターネットのニュースは、
感染症の記事でいっぱいになっています。
ネットを開くとどうしても、
その記事を見たくなってしまいます。
自分のことを放っておくと、
一つの記事を見て、関連記事を見て、
またそこから違うサイトの記事を見て・・・。
気付けば数時間画面を見続けてしまう、
そんなことがあります。
でも結局見ている記事の内容は、
どれもそんなに変わらない。
それなのに時間が出来ると
また同じような記事を見てしまいます。
どこかで冷静に自分を見つめて、
「どれを見ても変わらない」
「見続けてもしかたがない」
「見るのをやめよう」
と判断しない限り、
なかなかこの行動は止まりません。
自分のことを観察していると、
「自動運転モードの自分」
みたいなものがいるなと感じます。
その自動運転モードに身を任せていると、
ネットの閲覧が止められない事のほかにも、
食べることがやめられない、
飲むことがやめられない、
ゲームが止められない、
色々なことが「やめられない」状態に
なるような気がします。
自動運転モードに入っている時に
ふと「はっ、イカンイカン!やめないと!」
と気づいて、やっとやめることが出来る。
「なんとなく・・・」
という感覚がポイントになってくるのかもしれません。
「なんとなく見たいな~」
「なんとなく飲みたいな~」
「なんとなくゲームしたいな~」
なんとなく、という感覚は、
自動運転モードへの入り口のような気がします。
自動運転モードに一度入ってしまうと、
意志の力でそのモードを切るのは難しいです。
自動運転モードに入らないようにするためには
どうしたら良いのかなと考えていました。
もしくは自動運転モードに入ってしまった時に、
どうやって舵を取り戻すか。
しっかり「言葉」にしてみるのは、
役立つのではないかと思います。
やっぱりここでも、
「言葉にする」「書く」「話す」
というところへ行きつきました。
わたしもいまだにそうなのですが、
頭で考えて自分のことを
コントロールしようとしてしまいます。
それはとても困難なこと。
「分かっちゃいるけどやめられない」ことを
自制するのは難しいと思いますが、
それはもしかしたら「頭の中だけ」で
考えているからかもしれません。
バカみたいと思うかもしれませんが、
「やめよう」と実際に口に出して言う、
「やめよう」と実際に紙に書き出してみる、
面倒なことですが、それをするだけで、
「分かっちゃいるけどやめられない」ことを
止められる可能性が高くなります。
実際口に出す、書き出す、というのは、
簡単なことですが意外と面倒です。
さらに「見たい」「食べたい」「飲みたい」
そのような気持ちは、
一日の中で頻繁に感じる事なので、
そのたび、そのたび、言葉にすると、
何十回、何百回にもなってしまいます。
面倒になるのも当然のことだなと思いました。
何十回、何百回、言う・書く。
この壁を越えられるのか否か、
それはわたしにもまだわかりません。
わかったことは、
言葉にするということの効果は必ずあるけれど、
一日一回言葉にすれば終わりで、
効果が持続するということではないということ。
(持続力があるものだと思い込んでいました)
その気持ちが湧き上がってくるたびに、
言葉にすることで初めて、
効果が発揮されるのだろうなということ。
そして何十回、何百回言葉にすることは
気力と体力が必要ということ。
疲れてしまってヘロヘロな場合、
それをできないのも当然だなと思います。
たった「言葉にする」というだけのことですが、
その効果を感じるには意外と大きな壁があるのだな、
そんなことに気が付きました。
簡単なことのようで簡単ではない。
でもやること自体はとても簡単なので、
「めんどう」という壁を越えられるかどうか。
分かっちゃいるけどやめられない。
そんなことがみなさんにもあったら、
この壁を越えられるかどうか、
実験してみてください^^
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