おはようございます。 YUNAです
今朝は早起きだったので、朝風呂に入りました。
ゆったりまったり。。。。。体がほどけていくのが分かります
小張先生に教えていただいた何かにフォーカスする瞑想。。
私はお風呂でやってみました。
お風呂の蛇口からお湯の水滴をポタポタ落ちる状態にして。。。。
その音に意識を集中してお風呂につかりながら瞑想。。リラックス。。
なんだかいつもより集中して終わったあとは頭すっきり
私に合った瞑想法なのかな(笑)
これから続けてみよう。。。。
おはようございます。 YUNAです
今朝は早起きだったので、朝風呂に入りました。
ゆったりまったり。。。。。体がほどけていくのが分かります
小張先生に教えていただいた何かにフォーカスする瞑想。。
私はお風呂でやってみました。
お風呂の蛇口からお湯の水滴をポタポタ落ちる状態にして。。。。
その音に意識を集中してお風呂につかりながら瞑想。。リラックス。。
なんだかいつもより集中して終わったあとは頭すっきり
私に合った瞑想法なのかな(笑)
これから続けてみよう。。。。
おはようございます。 YUNAです。
今週もゲストの方がチェックアウト
とても素敵なすがすがしい笑顔でお礼のお言葉をたくさんいただき、
私たちスタッフも元気をたくさんもらいました。
本当に感謝です
2泊や3泊、普段の自分の生活圏から遠ざかり
高原館で自分の心と体に向き合う
普段は忙しさであまりできないですが、本当に大切な事
自分で自分を大切にして、満たしてあげる。。。。
そうすると物の見方、感じ方人間関係などが劇的に変わっていきます
実はとてもシンプルなんです。自分自身も周りも
シンプルになれる。自分の本質を探る旅。
それが高原館で提供できるようにこれからも楽しく無理せずできたらな。
ゲストの皆様の素敵な笑顔の輪をもっとふやしていけたら。。。。。。
今日の伊豆高原はちょっと秋空。。。。
読書がしたくなっちゃいました。
今日もありがとうございます。
かおりです。
9月もなかばに入りますが、まだまだ残暑がきびしいですね。
写真は、夏メニューの定番「ピーマンのじゃこ炒め」
ピーマンの独特の青臭さと苦味がほどよく抑えられ、
甘みが引き出されています。
ゲストの方からも
「ピーマン嫌いだったけど、これは食べられました」
という声をよく聞きます。
作り方はいたってシンプル。
1、フライパンに油をしいてジャコを炒め、ピーマンの千切りを
入れ、塩を入れて少し炒め、お酒を入れます。
2、しんなりしてきたら、薄口しょう油、濃口しょう油、こしょうで
味付けして出来上がりです。
(濃口しょう油は風味付けなので少量でいいです。メインの味付けは
薄口で)
普段何気なく食べているピーマンですが、どのような成分が含まれている
のでしょうか
<ピーマンの効能>
五味では「辛味」、五性では「温」、帰経は「脾」
体を温め、消化吸収を助ける働きがあります。
ビタミン…緑黄色野菜の中でもビタミンが豊富で、特にビタミンCは
レモンの2倍含まれています。
カロチン…美肌効果。
カプサイシン…辛味成分で、代謝を良くしてエネルギーを燃やす働きが
あるのでダイエットに効果あり。
クロロフィル(葉緑素)…抗酸化作用、コレステロール低下。
ピラジン(香り成分)…血栓予防の効果があり、血液がサラサラになる。
女性に嬉しい美容成分がいっぱい!
じゃこ炒めにするとたくさん食べられるのでぜひ作ってみてくださいね
こんにちは、こはりです
この書き込みが、どうやら100回目となるようです。
ちりも積もればといった感じでしょうか。
乱筆乱文を重ねてまいりましたが、その間にも「いつもブログ見てますよ」「更新期待しています」とゲストの方に声をかけていただく度にとても励みになりました。
コメントを頂戴することもあって、恐縮とうれしさがこみ上げています。
さて、昨夜の瞑想では「トラタク瞑想」というのをやりました。
サンスクリット語で「凝視する」という意味ですが、ろうそくに火をともして、その火に集中するという形で行いました。
最後の夜にぴったりの、ロマンティックで、少し郷愁を誘うような時間が流れました。
火の存在が人間を人間足らしめたという文化人類学者の見解を何かの本で読んだ記憶があります。
他の動物が火を利用することがないのを考えれば、それも言いえて妙でしょう。
調理においても火をもって加熱することで、消化を容易にしエネルギーの胃腸から頭脳集中へと変化し、人間が高度な文明を築く要素となった面もあるでしょう。
いずれにしても、火は人間に多大な恩恵を与えました。
キャンプファイヤーという行為も、人間のDNAに刻まれた原初的な感覚を呼び覚ますものかもしれません。
火を見ることで落ち着くというのも、危害を加えんとする猛獣を遠ざける役目を担ってきたこととも無縁ではないでしょう。
「トラタク瞑想」では「ただ見ること」に専念しました。
これは人間の原初的なあり方もきっと一つの物事に専心する「シングルタスク」であったことでしょう。
現代は利便性、経済効率が優先される社会です。
同時にいくつもの物事をこなせることが必須条件であるかのようです。
しかし、そうした「マルチタスク」であることが、心を疲弊させ、ひいては「うつ」に代表されるような、いわばフリーズ現象を引き起こす原因になるのではないでしょうか。
瞑想的な境地として「マインドフルネス」という概念があります。
今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情には捉われないでいる心の持ち方、存在の有様、と定義されます。
私たちは日々の生活どれだけ“今”を生きているでしょうか。
食べることでもそうです。
新聞を読みながら、テレビを見ながら、仕事の事を考えながら、食べていないでしょうか。
味わっているようで、そのことに集中していない。
どれも中途半端に終始している。
食べ物が口に入り、噛み砕かれ、舌の上でその味を知覚し、のどを通り抜けて、胃で消化されていく。
その過程をつぶさに感じることで、食物本来のおいしさや食感に気づき、またそうであるからこそ、栄養を完全に吸収し、残滓を排泄しきる機構が働くのではないでしょうか。
「中途半端」というのは、とてももったいないことです。
例えば映画を観に行ったとして、その映画の時間中、何度もトイレに席を立ち、そのストーリーがほとんど理解されない。
その映画を人生とすれば、日々の生活どれにも専心することなく中途半端に過ごすことで、人生を味わいつくすことができていないかもしれません。
そうした潜在的な「むなしさ」が、死を苦しめ恐れさせるのではないでしょうか。
全身を動かしきった先に、深い睡眠があるように、生ききった先に、静寂という死が待っているのだと思います。
一度きりのこの人生、輝かせるためにも、今宵、火をともしてみてはいかがでしょう。