する贅沢から、しない贅沢へ

2010 8/14 (土曜日)

初志

こんにちは、こはりです。

運動オンチの僕が高校の時分、ひょんなことから合気道を始めた。

肉体と精神を横断するそれにのめりこんだ僕は、次第に理念であった万有愛護の答えを模索していた。

武道にして争いを好まず、世界平和を希求するとは、なんというパラドックスか。

本当の幸福、心身の平安のありかを求め、民間療法や身体哲学の世界に必然的に足を踏み入れることになった。

そこで知ることとなった「マクロビオティック」

明治時代の日本陸軍薬剤監石塚左玄の「食養」「正食」に始まり、易経、陰陽論を融合させ「マクロビオティック」として継承、発展させた桜沢如一、その弟子久司道夫。

何も特別なことはない。穀物と野菜を主体とした伝統的な和食。玄米食に特徴を見る。

食物の性質を見極める「陰陽調和」、そして生まれ育った土地で採れた食材を調理した食事が長寿と健康の源になるという「身土不二」、一つの食材の全体を食べることをすすめる「一物全体」の思想がある。

合気道の開祖、植芝盛平が晩年菜食だった。「肉を食べると気が荒れる」と言っていたらしい。

ジョンレノン、トムクルーズ、マドンナ、ジョントラボルタ、シャロンストーン、坂本龍一、松井秀喜、挙げたらキリがないが、いずれもマクロビアン(マクロビオティック実践家)だ。

マクロビは食養にとどまらず一大思想体系として世界平和運動と一体化している。

なぜか?

僕なりに食養の重要性は実感している。

「しっかり食べなさい。食べることは生きる力になるんだから」大好きだったひいおばあちゃんが夢枕に立ってこう言ったのは何年前になるだろうか。
人々の健康を預かる治療家を志して、さらにその言葉は重くのしかかっている。

ずいぶん前になるが印象的な出来事があった。

夕方の待ち合わせまで時間があったので某ファーストフード店でコーヒーを飲んでいた。
そこにはお母さんと二人の子ども。1~2才と3~4才の女の子の前には無造作にフライドポテトとハンバーガー。お母さんはメールに夢中のようだ。その光景は家族での食事とは程遠く、僕には家畜にえさをやっているようにしか見えなかった。そこには栄養のバランスもなければ会話もなく食の楽しみすらもなかった。

「食養こそ根本療法である」

手技療法を生業とする者にあるまじき発言かもしれない。
批判も免れないだろう。
しかし、僕は声高に言い続けてきた。これからも言い続けるだろう。
健康法、民間療法といえども、食養の前では小手先の対症療法だ。
長年の悪しき生活習慣の蓄積が病として表れている。
ゆえに真の健康を得るためには生活習慣、すなわちその人の生き方、価値観を根底から変革する必要がある。
長時間パソコンを続け肩が凝る目が疲れるといって、いくら肩をもみ目に効くツボを圧そうが、その習慣が変わらない限り症状が永続的に消えることはない。
あまりにも当然の理屈。それがなかなか理解されない。
人はみなインスタントを求める。お金を出せば健康は買える物だと。

ここまで言うと僕が現在生業としている手技療法がまったく無意味であるかのように受け取られかねない。
僕もまったく社会に貢献しない仕事をしているほど愚かではない。
心身を整えることによって、感度の良いしなやかな心身の状態をつくる。
その上で自らの心身の状態に目を向け、自らで改善の道を歩んでもらうように仕向けるのが僕の仕事だと思っている。
つまり僕には背中を押すことしかできない。
「きっかけ」をつくって差し上げている。
その意味においてまったく無駄な療法と言う訳ではない。

しかし、食養が根本療法たる理由がある。
食事は一般的に一日に三回いただく。
あらゆる健康法たとえば指圧や体操など毎日行えばいい方だ。
自分一人で行うものであれば面倒な時はやらなくても誰に怒られることもない。
お金のかかることであれば経済的な制約もある。
ところが食事は欠かさずとるではないか。
いや食べずには生きられないと言った方が適切か。
その不断の習慣を健康法に活用しないわけがない。ぜひ活用すべきだ。

食事を巨視的にみれば「生命をいただき生命に変える行為」と言えないだろうか。
すなわち生命の質を決めるのもいただく生命によっている。

それではどのような食事が良いのか。

古今東西さまざまな方法がある。
それぞれ共通性もあればまったく反対の理論をもっていることもある。
また現代の栄養学の知見では到底理解できないような禍々しく胡散臭いほどに奇怪な理論も多い。
すると人々はどれが正しいのか迷い困り果てるだろう。

僕は現代の栄養学に対して疑問を抱いている。

かといって信奉する既存の食餌療法はない。

ただ僕には一つの答えがある。
偏見を恐れずに言えば「感度の良い心身状態で食べること」である。
自分の身体に合う物は自分が一番よく知っているはずだ。
悪いものを食べれば吐き下痢をする。
その敏感な身体に感謝すべきであり、明らかに身体に良くないものをおいしく感じる身体は鈍感になっていることを知ることだ。
巷にあふれる食品、世間でおいしいと評判の食品。
それは必ずしも敏感な身体で選ばれていないことをまず知らなければならない。
「今流行の…」といえば聞こえはいいが、鈍感な人たちが寄って集めって選んだ粗悪品と捉えることもできる。
それは自分の身体の感覚を最優先にするというスタンスだ。
誰よりも優れているという自負がなくてはつとまらない。
「なんと高飛車な」そう思うだろうか。
そう思った人たちに僕はこう言いたい「なんと卑屈な」

「唯我独尊」生きていく上でそのくらいの気概があっていい。

結論になってしまうが「自己愛こそ健康の特効薬」なのだ。
仏教では「渇愛」が不幸や病の源としている。

最近、「精神疾患は栄養失調が原因である」という研究報告があった。
そんなこと東洋医学では何千年も前からこころとからだはひとつ「心身一如」と言ってきた。粗末でもいい、心豊かな食生活を送りたいものだ。

フライドポテトをしゃぶっていた女の子の顔色は悪く表情もかたかった。
その子の親に僕は「親としての自覚はあるか!」と糾弾したい気持ちでいっぱいだった。
高価なものを食わせろというのではない。
鈍感無神経な親に生まれた子に責任はないではないか。
この子が愛の中で産まれてきた日のことを思い出し、その子の未来をつくっているという気概を持ち、どうか心あたたまる食事を教えてほしい。
ファーストフード店でただ機械的に食べさせて本当の家族の幸せを得られるだろうか。
一時の楽しさに流される人間の弱さを知っている。
でも子の為なら命を投げ出せる親の美しき強さも知っている。
メールはいつでもできるじゃないか。
そのメールを打つ手をやめて一品でもいいのでどうか料理してほしい。そしてその子をやさしく抱いてほしい。

あなたの手はそのためにあるのですから。

マザーテレサは言っていた。

愛は家庭から始まります。
まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。
両者が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。
平和とうるおいの家庭が築けたら、隣人を愛しなさい。
自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人を愛せません。

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