土曜日、帰る朝
帰る日の朝は、
思っていたより、
いつもどおりだった。
カーテンを開けると、
伊豆高原の緑が目に入る。
窓を少し開けてみる。
朝の空気が、気持ちいい。
一週間前、
ここに来たときは、
少し緊張していた。
断食なんて、
自分にできるだろうか。
知らない人たちと、
一週間も一緒に過ごせるだろうか。
何より、
こんなに長く仕事や家のことから離れて、
落ち着いていられるだろうか。
そんなことを、
あれこれ考えていた。
でも今朝は、
不思議と何も考えていない。
ただ、窓の外を眺めている。
「もう帰るんだなあ」
そう思うと、
少し名残惜しかった。
一週間前と、同じ荷物
部屋に戻って、
荷物をまとめる。
持ってきた服をたたんで、
スーツケースに詰める。
読みかけの本も、
バッグに戻した。
結局、
ほとんど読まなかった。
来る前は、
時間がたっぷりあるから、
本を読んだり、
これからのことを考えたりしようと思っていた。
でも実際は、
散歩をして、
温泉に入って、
食事を味わって。
気がつくと、
一日が終わっていた。
何もしない時間も、
たくさんあった。
それなのに、
退屈しなかった。
むしろ、
何かをしなくてもいい時間が、
こんなに心地いいとは思わなかった。
スーツケースの中身は、
一週間前とほとんど変わらない。
自分自身も、
別人になったわけではない。
帰れば、
また仕事がある。
家のこともあるし、
気になることも、きっと次々に出てくる。
それでも、
来たときとは何かが違う気がした。
「また、どこかで」
朝食のあと、
ロビーには帰り支度を終えた人たちが集まっていた。
「あっという間でしたね」
「最初は一週間もあると思ったのに」
そんな話をしながら、
みんなで笑う。
初日は、
名前も知らなかった人たち。
食堂で隣り合わせになって、
散歩で一緒になって、
少しずつ話すようになった。
断食中の空腹の話。
食事がおいしかったこと。
よく眠れたこと。
今日の天気や、
歩いた道のこと。
たいした話をしたわけではない。
それでも、
一週間前には知らなかった人たちと、
自然に笑っている。
名前や仕事を詳しく知らなくても、
この一週間を一緒に過ごした人たちだった。
「また、どこかで会えたらいいですね」
「そうですね」
そう言って、二人で少し笑った。
本当にまた会えるかは分からない。
それでも、
そんなふうに言える人ができたことが、
少し嬉しかった。
大人になってから、
こんな出会いがあるのも、
いいものだなと思った。
帰ったら、何をしよう
帰りのことを考えながら、
ふと、いつもの生活が頭に浮かんだ。
朝は時間に追われて、
慌ただしく支度をする。
仕事中は、
次から次へと用事が入る。
家に帰れば、
やることが待っている。
そんな毎日に戻ったら、
ここで感じた心地よさも、
すぐに忘れてしまうのだろうか。
「帰ったら、毎朝散歩しようかな」
「食事も、もっとゆっくり食べよう」
「スマホを見る時間も減らしたい」
いくつか思いついたところで、
少しおかしくなった。
また、
やることを増やそうとしている。
せっかく一週間、
頑張ることを休んできたのに。
全部、
続けなくてもいい。
朝、
時間があったら散歩をする。
忙しい日は、
窓を開けて外の空気を吸うだけでもいい。
毎日続けなくてもいい。
ただ、疲れたときに、
「今日は少し休みたいんだな」
と、今の自分に気づいてあげよう。
それくらいなら、できそうな気がした。
いつもの暮らしへ
玄関を出る前に、
もう一度、建物を振り返った。
一週間前は、
ここでどんな時間を過ごすのか、
まったく想像がつかなかった。
断食をして、
身体を軽くして、
生活をリセットしたい。
そんな気持ちで来た。
実際に一週間を過ごしてみると、
思っていたのとは少し違うものを持ち帰ることになった。
朝の光が気持ちいいこと。
お腹が空いてから食べるご飯が、
美味しいこと。
ゆっくりお風呂に入るだけで、
幸せな気持ちになれること。
何もしない時間があっても、
いいこと。
そして、
疲れたら休んでもいいこと。
どれも、
特別なことではない。
知っていたはずのことばかりだ。
でも、知っていることと、
実際に感じることは違うのだと思った。
帰ったら、
また忙しい毎日が始まる。
仕事も、家族との時間も、
自分にとって大切なものだ。
だから、頑張ることを
全部やめたいわけではない。
ただ、頑張り続けなくてもいい。
疲れたら、少し立ち止まればいい。
急いでいることに気づいたら、
ゆっくり歩いてみればいい。
そして、
また休みたくなったら、
ここに来てもいい。
そう思える場所ができたことが、
なんだか嬉しかった。
帰り道、
窓の外に流れていく
伊豆の景色を眺める。
一週間前と、同じ道。
帰る先も、同じ暮らし。
でも今は、
そのいつもの暮らしが、
少し楽しみだった。
自分のペースで、また始めよう。
連載を終えて
「全部まとめて、ちょっとリセットしたくて」
そんな思いから始まった、
一週間の物語。
特別な出来事が起きたわけではありません。
けれど、日常から少し離れたことで、
朝の空気や食事のおいしさ、
何もしない時間の心地よさを、
もう一度感じることができました。
一週間あるから、急がなくていい。
そして、帰ってからも、急がなくていい。
この物語が、
ご自身の休み方を見つめる
小さなきっかけになれば嬉しいです。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
やすらぎの里、一週間。
この連載は、
これまで多くのゲストから伺ってきた体験をもとに、
個人が特定されない形で再構成した物語です。
会話や心情は物語として描いています。
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