5日目の朝。
食堂に入ると、
「おはようございます」と声をかけられた。
「おはようございます」
私も、自然に返す。
初日は、
誰と目を合わせればいいのかも分からなくて、
少し緊張していた。
一人で来たことも、
ちょっと心細かった。
それが今は、
食堂に入れば誰かと挨拶をしている。
いつから、
こんなに普通になったんだろう。
たいした話はしていない
食事をしながら話すことは、
何でもないことばかりだった。
「昨日は、よく眠れました?」
「ぐっすり。途中で一度も起きなかった」
「いいなあ。私は早く目が覚めちゃいました」
昨日の薬膳粥のこと。
今日の天気のこと。
散歩に行くなら、どこが気持ちいいか。
断食中の話になって、
「何が一番食べたかったですか?」
誰かが聞いた。
「私はパン」
と隣の人が答える。
「分かる。私はラーメンでした」
みんなで少し笑った。
何か大切なことを話しているわけではない。
それでも、
食事をしながら話すことが、
いつの間にか当たり前になっていた。
何をしている人なんだろう
話をしながら、ふと思った。
毎日顔を合わせて、
一緒に食事をしている。
廊下ですれ違えば、挨拶もする。
それなのに、
この人たちが普段、何をしている人なのか、
私はほとんど知らない。
そういえば私も、
自分の仕事について、
まだほとんど話していなかった。
日常では、初めて会った人と話すと、
「お仕事は何をされているんですか?」
と聞くことが多い。
自分のことも、
「こんな仕事をしています」と説明する。
でも、ここでは、
それがなくても困らなかった。
「昨日のお粥、おいしかったですね」
「今日は晴れそうですね」
そんな話だけで、普通に一緒にいられる。
なんだか、不思議だった。
説明しなくていい
日常に戻れば、仕事がある。
周りに気を配り、予定を考え、家のこともする。
別に、それが嫌なわけではない。
ずっと、そうやって暮らしてきた。
でも、ここに来てからの私は、
誰かのために食事を作っていない。
仕事の予定も考えていない。
自分が何をしている人なのか、
誰かに説明することもない。
食事が出てきたら、
「おいしい」と言って食べる。
眠ければ休む。
誰かと会えば、
「おはようございます」と言う。
それだけ。
自分が何をしている人なのか、
説明しなくてもいい。
それが、なんだか楽だった。
歩きたいから、歩く
午後になって、外に出た。
今日は天気もいい。
少し歩きたい気分だった。
3日目は、
散歩へ行かず、温泉に入った。
「歩いた方がいい」ではなく、
「今日は、こっちがいい」と思えたから。
今日は反対だった。
今日は、歩きたい。
だから歩く。
海の見える方へ、
ゆっくり歩いていった。
風が気持ちいい。
立ち止まって、海を見る。
さっきまで、
食堂でみんなと話して笑っていた。
今は、ひとりで、
海を見ながら歩いている。
どちらも、心地よかった。
あと二日
夕食のとき、
「もう、あと二日なんですね」
誰かが、そう言った。
「あ、そうか」
ここへ来た日は、一週間がずいぶん長く感じられた。
それが今は、終わる方から数えている。
不思議なものだなと思った。
部屋に戻る途中、誰かとすれ違った。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
その人が普段、どんな仕事をしているのかは知らない。
それでも、明日の朝また会ったら、
「おはようございます」
と言うんだろう。
それでいいような気がした。
あと二日。
来たときは長いと思っていた一週間が、
急に短く感じられた。
やすらぎの里、一週間。
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