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2009 6/17 (水曜日)

「大地に感謝」

大沢です。

昨夜の雷雨から一転、
久しぶりにすっきりした青空が広がる。

テラと一緒に朝の散歩をしていると、
小鳥の鳴き声も気のせいか、
うきうきした声に聞こえます。

雨に濡れた草が、
朝日に照らされてキラキラ光っていました。

朝露にぬれる草

私は水曜日が休みなので、
休日の午前中に畑に行きます。

畑で土に向かって、
アタマを空っぽにして、
カラダを動かして、汗をかくと、
仕事モードから、休みモードに切り替わります。

畑では、ズッキーニが育っていました。

ズッキーニ

たくさん花が咲いているので、
今年はたくさん取れるかな。

ズッキーニの花

「たくさん取れたら、
夏野菜のマリネにして、
ゲストのみんなに出してあげようね。」

かみさんがうれしそうに、
ズッキーニをながめています。

畑は野菜だけでなく、
穏かな気持ちも与えてくれます。

恵みの大地に感謝。

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2009 6/10 (水曜日)

「ニューサマーオレンジ」

伊豆の特産の柑橘に、
ニューサマーオレンジがあります。

甘酸っぱさの中に、さわやかな酸味がある、
とてもジューシーな柑橘です。

ニューサマーオレンジ

このニューサマーオレンジを搾った、
無添加の100%のジュースを見つけてしまいました。

ゲストの方から、
お土産は何がいいですか?
と聞かれることがあります。

せっかく、伊豆に来たのだから、
伊豆の特産の美味しいものを教えたい。

なかなか、いいものがなかったんですが、
このニューサマーオレンジのジュースは美味しい。

果肉と薄皮まで丸ごと搾ってあって、
ニューサマーの美味しさが、
ぎゅっとつまっています。

ニューサマージュース

ビンもラベルも地味ですが、
伊豆の稲取産のニューサマーを搾ってあるので、
味は自信をもっておすすめします。

あまり美味しかったので、
高原館でも販売することにしました。

今度来たときに、
お土産におすすめですよ。

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2009 6/4 (木曜日)

生きとし生けるものが幸せでありますように

こんにちは、こはりです。

捨て猫があった。

人の生活する敷地内であったため処分が検討されていた。

「かわいそう」という感情が生まれ、「飼う」「飼わない」の選択を迫られる。
住居の事情や仕事の状況で「飼えない」ことが明確になった場合、「里親を探す」という思考に派生していく。

結果、一時的に預かることを余儀なくされるわけだが、その役目を誰かが担うことになる。

その時間的猶予をもって里親を探す。

同時に周囲からいろいろな反応がある。

「飼いたいのは山々なんだけど飼えない」「やっかいな問題を持ち込んでくれた」「生命は平等だ、ネコだけを特別視するのはいかがなものか」「預かること自体無責任な行動だ」

どれもあまりに人間的な「感情」に任せられた言動なのだと思う。

「かわいそう」という感情から出発した一連の行動は、周囲の感情的な反応を喚起し、自他の業の深さ、醜さを直視せざるを得なくなる。

ブッダは「悟る」ということは、「一瞬一瞬の無常に完全に気づいている状態」だと言った。

たとえば人に殴られた時、それはある瞬間、物質が物質に触れただけのことで、そこに痛みが生まれても、心は痛みを感じて「あっ、痛み」というだけで終わりということになる。
「私は痛い」「私はぶたれた」という発想が無意識にもない境地。

こと生命に対しては、感情を出したら際限がない。

ゴキブリは平気で蔑み殺しておいて、かわいらしいと自分が感じる哺乳類を偏愛したり。
感情に傾いた人に対して、感情的に非難し判断を下したり。

どのような感情が生まれるかは、生まれ育った環境や文化、マスコミから流れてくる情報などの影響を受ける。
当然、ものを認識する能力や善悪の判断も、人によって異なってくる。

何が正しくて、何が悪いのか、判断をすることから「苦しみ」「怒り」「争い」が生まれてくる。

捨て猫に遭遇して、どのような対処をすればよかったのか。

『すべての生命にはそれぞれ悩み、苦しみがあって、それは対価です。誰の悩みが特に重要ということはありません。その苦しみを互いにぶつけ合ってしまったら、どちらも「私が正しい」というだけで、折り合いのつけようがないので、どちらも生きていられなくなります。「私の悩みは私の悩み、向こうの悩みは向こうの悩みで」というふうに、平等の気持ちを持つようになると、自我はどんどん消えて、怒ることもできなくなります。』A・スマナサーラ

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2009 5/28 (木曜日)

鳥の生歌

はじめまして?

以前、やすらぎの里本館で、治療と朝の体操のお兄さんをやらせていただいていた酒井と申します。

この5月から、高原館にて、再び治療のお世話をさせていただいております。

高原館は文字通り高原にあるので、本館と比較して2度前後涼しいので、これからの暑い季節、おすすめです。

また、治療室には穏やかな音楽を流しながら、治療を行うのですが、
今の時期、そのバックに鳥の生歌が流れています。

自然の声とでも申しましょうか…、いいリズムなのです。

鳥の奏でる自然のリズムと施術とのハーモナイズ。

自然からの気、音、風、そして施術で、自然の心地よさを感じ、自らの持つ自然治癒力を体感していただけたらと思います

大室山と空

お会いできることを、楽しみにしていま~すФ

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2009 5/26 (火曜日)

今なぜ修行系なのか?

こんにちは、こはりです。

現在、書店などで発売中の週刊誌「女性自身(6月9日号)」にやすらぎの里が載っています。

「ちょいスピ 修行系ホテルへGO」という記事。

座禅、写経、滝行、気功など、ちょっとスピリチュアルな「修行体験」ができるホテルや宿坊が静かなブームを呼んでいるそうです。

実際やすらぎの里にも「健康増進」という動機のほかに、転職や転換期など人生の節目に立ち「心身をリセットしたい」「インスピレーションを得たい」という思いから断食を志願される方もいます。

これは古来より日本人が尊んできた「ミソギ」が時代を超えて今もなお息づいているのだと感じます。

目に見える肉体はもとより、目に見えない心にも働きかけられるのが、断食の特徴といえるのではないでしょうか。
ひとつらなりである心と体、人間と自然の恵みといったものを肌身で感じ、感謝と笑顔のうちに帰路につかれるゲストの方をお見送りして、つくづくそう思うのです。

断食は世界のあらゆる宗教で、それぞれの方法の相違はあっても修行形態として実行されてきました。

イスラム教のラマダンは有名ですが、ブッダの修行法にも取り入れられていました。
キリスト教やヒンズー教、道教、ジャイナ教などにも散見されます。

インドの国父マハトマガンジーも断食を実践しました。
インドが単に政治的な独立を果たしても意味がない、インド人一人ひとりが自己の欲望を統御し、非暴力を実現しなければ、独立しても意味がないと訴えました。
欲望を抑えられない国民が独立した国家を手にしても、それはイギリスの植民地支配となんら変わりがないと考えたからです。

実際、同じ民族、国民の間であっても思想信条、宗教の違いで争っているところはいくらでもあります。

特定の宗派の教えを超えた普遍的な宗教的価値を共有するためにガンジーは断食を選んだとされています。

この世界で別々に見える宗教も根源的には一つの真理に還元され、その真理をしっかり認識すれば対立するはずがないと考えたのです。

また前田行貴著「釈尊の断食法」にはこのようの述べられています。

『断食は、人が逆境や難関に遭遇した時、エゴ(自我)を捨て、謙虚になって他人に迷惑をかけることなく、静かに大自然への全託に至る至高の行法なのです。』

普段置き去りにしてきた身体に、否応なく目を向けさせられるのが断食です。
それはまさに瞑想であり内観の極意ではないでしょうか。

長い歴史に培われた宗教的な営みには、人間の知恵や英知が凝縮されていると思うのです。

「幸せに生きるために」

それは自分自身の内にある対立をなくし、心穏やかに生きることと同義かもしれません。

過剰な演出を排し、この身ひとつで行える「断食」は現代的なセンスとも合致します。

いつの世も「修行」は幸せな人生への道しるべとして、その輝きは増すばかりです。

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  • お手軽プラン

    2泊3日 32,340円

  • 基本プラン

    3泊4日 48,510円

料金には、宿泊、食事、面談、マッサージ、カッピング、温泉、講座、ヨガや瞑想などが含まれています。

空き室状況&ご予約

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