2009 5/11 (月曜日)

さあ、もう一杯

渭城の朝雨輕塵を潤す
客舎青青柳色新なり
君に勸む更に盡せ一杯の酒
西のかた陽関を出づれば故人なからん

唐の詩人王維が友との別れに詠んだ詩だ。

渭城の早朝の雨がちょうどよく軽く舞いあがる塵をしずめ、
また旅館の前の柳の色も雨に洗われて、今朝はとりわけ新鮮に見える。
渭城まで見送ってきたが、いよいよここで君とお別れだ。
酒はもう十分だと言うかもしれないが、最後にもう一杯だけ飲みたまえ、
これから西に旅して陽関を出たならば、共に杯をかわす親しい友人もいないだろう。

時は流れ、人は常に変わっていく。
その意味において「別れ」は人生に必要なのかもしれない。
生きることが、来るべき死を意識することで輝くように、
「別れ」もまた自分の中でしっかりと受け止め、けじめを付けてこそ、
新たな出会いが迎えられるのではないか。

この季節になると思い出す歌がある。

さくら(独唱)森山直太朗

僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を
さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ
どんなに苦しい時も 君は笑っているから
挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ

霞みゆく景色の中に あの日の唄が聴こえる

さくら さくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻 変わらないその想いを 今

今なら言えるだろうか 偽りのない言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉

移りゆく街はまるで 僕らを急かすように

さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる瞬間を信じ
泣くな友よ 今惜別の時 飾らないあの笑顔で さあ

さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で

学生時代を桜咲き誇る千鳥が淵のある九段下界隈で過ごした。
卒業式を終えた道すがら、靖国の道の上で刹那に散りゆく運命を知った。

人との本当の別れ、それは死になるだろうか。
それでも人との縁、絆は決して切れることはない。
生まれ変わった瞬間、またこの場所で会える。

人は別れ、それぞれの道を歩むことになる。

ひとまずの別れ。
引き続き関係があるかもしれない。

今生の別れ。
途端に疎遠になるかもしれない。

それでも過去に「出会った」という事実こそ大切にしたい。
それは揺るぎない事実。
忘れがたき思い出。

「袖振り合うも他生の縁」という故事がある。

道のいきすがりに、袖が振れ合うというような、偶然でほんのささやかな出会いであっても、
それは前世からの深い緑で起こるということだ。

これは仏教の世界観の、命あるものは死を迎え、そして何度でも生まれかわり、
輪廻のなかを回り回っているという思想によるもの。

袖が触れ合っただけですら、前世からの縁。
ましてやともに喜怒哀楽を分かち合った同志となれば、想像を絶するほどの縁になりうるのではないか。

ブッダは「対面同席五百生」という表現をした。

向かい合って同席した相手は、過去(前世)に500回は人生をともにしながら生まれ変わってきたとても濃い間柄だという。

別れに際して僕は改めて思う。

この世に、偶然に出会う人はいない。
必ず何かの縁があるから出会うのだ。
目に見えないたましいのつながりを大切にしたい。

ありがとう。
生まれ変わってもまたあなたに会いたい。
そしてあの日のように杯を交わそう。

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