する贅沢から、しない贅沢へ

2009 7/9 (木曜日)

本当の自然食

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こんにちは、こはりです。

先日、東京は表参道にある「ブラウンライスカフェ」に行ってきました。
そこのテーマは「Living With WHOLE FOOD」

「WHOLE FOOD」
直訳すれば「まるごとの食べ物」です。
日本の食養の世界でも伝統的に「一物全体」と表現されてきました。

その最たるものが精白しない「玄米」に集約されるわけです。

精製度の低い、生命力あふれる状態としての「まるごと」をいただくという理念です。
これは食材の形態が指標になります。

「WHOLE FOOD」はそこからもう一歩踏み込んで、「食べ物」だけでなく「暮らし」を取り巻くさまざまな要素に目を向け、より自然で健康的な在り方を探っていくものです。

往々にして、健康になることを最大の目的として生きている人は、有機、無農薬、無添加の食品を求めるものです。
それは当然の帰結であって、大切なことだと思います。

しかし、それが本質ではないことに多くの人が気づき始めてきたのではないでしょうか。

自分にとって都合のいいものだけを追い求め、知らず知らずのうちに環境を汚してしまうことがあるのならば、それは誤った在り方だと言わざるを得ません。

「健康になりたい」が「私だけが良ければ」という利己的な発想と結びつきやすいのもまた事実です。

食べ物を含め生命は豊かな土と水、空気と太陽があって育まれます。

「今さえ良ければ」という刹那的な考えで、将来の子供たちに豊かな自然を残してあげられないとすれば、それは「不自然食」以外のなにものでもないでしょう。

健康で快適に暮らしたいならば、「食べもの」だけ安全なものを選んでいても片手落ちではないでしょうか。
薬剤や洗剤、電磁波、ライフスタイルを「まるごと」見直していく。
総合的、全体的な視野の必要です。

今までずっと「人間にとって自然な在り方とは何か」考え続けてきました。
「自然農法」といっても人工的な品種である蔬菜を育てる時点で人間の手が入ることを看過しなければならず、果たして「自然」とは何をもってするのかと行き詰っていたのも事実です。

文明に対する未分化な原始生活も、どの時点までさかのぼれば「自然」と定義できるのかも人間の存在自体を把握しきれない者がいくら考えても分かるはずもありません。

人間は「万物の霊長」と称されますが、おこがましいニュアンスを差し引いても、一つの進化の最終形態として「人間にとって自然な在り方とは何か」常に考え続けていることが、「人間にとっての自然」なのではないかと「WHOLE FOOD」の思想に触れて思い始めました。

その答えが「健康」として我が身に表れてくるのでしょう。

人間もまた自然の一部ですから。

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