する贅沢から、しない贅沢へ

2009 7/7 (火曜日)

養生は薬によらず尋常の身持心のうちにこそあれ

こんにちは、こはりです。

今日は七夕ですが、個人的に思い入れのある日でもあります。

指圧の師と仰ぐ増永静人先生の命日です。

先生が亡くなって28年、先生の遺したものはしっかり受け継がれているでしょうか。

「支え圧」

これがまさに増永指圧の真髄であって、病気治しに実力を発揮した増永指圧の真価です。

先生は生前、力なく弱った虚証の患者さんの虚した部分に20分持続圧をかけたそうです。

そうした長時間の持続圧を可能にするのも相互に安定しリラックスした体勢と、支え圧の哲学がなければできないでしょう。

しかし、現代ではなかなか実践できていないのが現状です。
それは現代の即席、拙速、粗雑な時代では商業ベースに乗らないということがあげられます。

患部だけを押してほしい。もっと強く、もっと激しく。

現代的なセンスを持ち合わせた術者にとっても被術者にとっても、それはとてもまどろっこしいことだからです。

そうした状況をすべて踏まえても、僕はこの増永先生の遺産「支え圧」を受け継いでいくと決意を新たにしたのでした。

流派によっては斜め方向にゆるみをとったり、経絡の走行に角度をつけて押圧したり、テクニカルな技法はたくさんあります。
実際治病効果も上がるのでしょう。

しかし、僕はすんなり受け入れられる自然のあり方に共感しないわけにはいかないのです。
ギルド的な、プロの占有物にせず、家庭でもできる、子供でもできるシンプルな方法です。

互いに支え合い、手指を媒介として共感を表していく持ちつ持たれつのあり方です。

それは脆弱な依存関係でも一方的な奉仕関係でもなく、お互いが癒し癒され、生きる力、明日への活力へとつながっていくあり方です。

本質的に人間の幸福というのは「ひとつになること」にあるのではないでしょうか。

それが異性関係におけるセックスにはじまり、陰陽調和、天地自然との一体感など超越的、宗教的な境地にもつながってきます。

究極的なやすらぎは判別性感覚を超えて原始的な生命共感にこそあるのではないでしょうか。

最後に増永先生の言葉をかみしめ哀悼の意をささげたいと思います。

患者が我を捨てるためには、これに対する治療者が、まず自我を捨てねばならないということである。
精神療法でもこのことは強調されているが、経絡をみるためには、陽の世界の中心である我をとり除かねばならないのである。
経絡は見ようとして見えるのではなく、患者の見せてくれるのを待って、見えてくるということである。
すべてを経絡によって理解し、経絡の中に自分を没入していくと、指なり鍼なりが自らツボに導かれる。
そうして患者を治すのではなく、経絡の働きで患者は治ってゆくのに気付くのである。
患者が治らないときは、治そうとする自分が邪魔していたとわかる。
こうして日々の治療が、まさに己の修業のためにあると気付き、常に己の気をととのえる努力が、治療者に与えられた義務の根本であると心掛け、そうした仕事を与えられたことに感謝しつつ、励んでいる次第である。  増永静人

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