(自然研究路の途中にある大きな切り株)
こんにちは、高原館のくさむらです。
入山さんのお話は気づきが満載でした。
1番衝撃的といいますか、ハッ!、っとさせられたのは、
「自分も自然現象」
という言葉です。
それ以外にもたくさんハッ!とした言葉がありましたので、
ひとつずつ書いていきたいと思います。
・「心の感覚」という言葉
瞑想は身体の一部に意識を向けるやり方が多いです。
ベーシックなのは自分の呼吸だけに意識を向ける方法。
吸う、吐く、その空気が鼻を通り抜けていく感覚、
お腹が膨らむ、へこむといった動きにも集中していきます。
あとは、手のひらの感覚、足の裏の感覚だけに意識向ける、
また、音だけに集中するなんていう方法もあります。
わたしは瞑想していると自分の心へ意識が行ってしまいます。
ただし、目をつぶって、静かに座っている時は、
わりと冷静に自分の心配や不安を見ることが出来る感じがありました。
しかし、身体の感覚に集中出来ないので、
わたしはちゃんと瞑想出来ていないなぁ…と感じていました。
入山さんが、心の感覚をよ〜く見ると表現なさった時に、
あっわたしのやり方が間違っているわけではないんだ!と気づきました。
身体の感覚をよく見るのも瞑想だし、
心の感覚をよく見るのも瞑想なんだなとわかって嬉しい気持ちになりました。
・見ることと考えることは両方必要
瞑想をしているとき雑念が浮かんできても、
良い悪いで判断しないことが大切だよとよく言われます。
そうかぁと思い、やってみるのですが、
雑念が浮かんでくるとそのことについて考えてしまう自分がいました。
入山さんは、心の感覚を「何でだろうな…」
とよく見ていくことが必要と表現されました。
不安や心配が浮かんできたとき、
頭の中で勝手にストーリー展開をしてしまう。
わたしの頭の中はそのようになりがちです。
これは確かに良くなくて、ますます不安や心配が大きくなってしまいます。
だけど、何で不安なんだろうな?、何でこんなに心配なんだろうな?
というように「よく見る」ことが出来れば、
勝手なストーリー展開をするのではなく、
それは自分を解き明かしていく作業になります。
勝手にストーリー展開をしてしまうということの苦しさは、
考えても決してわかることのない「相手の気持ち」が
入り込んでくるからなのかも…
そんなことに気がつきました。
長くなりましたので続きます…。
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