(桜のトンネルはピンク色から緑色に変わりました)
こんにちは、高原館のくさむらです。
入山さんのお話はたくさんの気づきがありましたが、
最も印象的だったのは、
「自分も自然現象」
という言葉でした。
感覚のはじまりをよく見てみる。
よく見てみても、見つからない。
なぜなら、無意識にはじまっているから。
入山さんは感覚を「起こる」と表現していました。
最初何故そのように表現するのか分かりませんでした。
でも、感覚が自然現象なら確かに、
起こるという表現が適切だなと思いました。
感覚は起こるもの。
風が吹いたり、草木が芽吹くのと一緒。
不安や心配、悲しみや怒り。
それらは自然に起こっている。
風が吹くことと大差はなくて、ただ起こるときに起きた感覚。
そのように捉えると、本当に責めようが無くなります。
悪いことをしたな…と感じることもあるし、
誰かに怒りを覚えることもあります。
でも、その出来事ひとつひとつは、風が吹くのと同じ自然現象で、
無意識に起こっているのだとしたら、
自分も相手も責められなくなります。
それじゃあ全部自然現象で片付けちゃうの?
状況は何も変わらないじゃない!
そんなふうにも思ってしまいます。
わたしもそれじゃあどうしたら良いんだろうか、
ということを考えてしまいました。
ここからは、わたし個人の考えです。
感覚のはじまりをよく見る。
よく見てみても、見つからない。
感覚は自然現象で風が吹くのと大差がなく、起こっているもの。
よく見るけど見つからない。
この作業を繰り返し繰り返し行うと、きっとどこかのタイミングで、
「いつまでたってもやっぱり見つからない。本当に自然現象なんだな…。」
と心底納得する日が来るのではないかと思います。
納得出来ないから、何回も何回も、
感覚のはじまりを見つけようとチャレンジします。
そしてチャレンジ”しきった時”に、ようやく諦めがついて、
納得せざるを得なくなる。
その瞬間、同時に、すべてを受け入れざるを得なくなるのだと思います。
全て自然現象。
全て仕方ないことだったんだな…というように。
そこまで腑に落ちたとき、自分も、他の誰も責めなくなって、
楽になるのかもしれないなと思いました。
自分の不安や悲しみに対して、
風が吹くのを待つのと同じように待ち、
相手の怒りも雨が止むのを待つように待つ。
そんなふうになれるのかもしれません。
すぐにそのようにはなれませんが、地道に地道に、自分をよく見ていくと、
何年先になるか分かりませんが、
目覚めを体験する日が来るのかもしれません。
入山さんのお話から得た気づきのお話はこれで終わりです。
ありがとうございました。
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