食生活改善

2014 9/22 (月曜日)

生命が輝く本当のダイエット

現代を生きる我々は、WEBをはじめとしてテレビ、雑誌、書籍とたくさんの情報に囲まれ、もうすでに知識も豊富に備えています。

ところが体調が良い、ダイエットに成功したと胸を張って言える人がどのくらいいるでしょうか。

情報はあっても玉石混交で、なにが正しく、どれが自分に合っているものか、混乱しているのが現状ではないでしょうか。

また、良い方法を知っていたとしても、せわしない日常の中で、実践することがままならないということもあるでしょう。

やすらぎの里高原館は、まさにそういう人たちのための場でありたいと思うのです。

ただ単に見かけの痩身を求め、内面の健康は度外視してもかまわないという人には向いていません。

様々なダイエット法を渡り歩き辛酸をなめてきた人、「これを食べればやせる」といった短絡的なロジックにもうこりごりの人、誤ったダイエット法のために自分を愛せなくなってしまったり、本来はおいしく食べられるはずだった食事を敬遠するようになってしまった人たちこそ、高原館に来ていただきたいと思います。

「ダイエット」という言葉は、今でこそ「やせる方法」といった程度の認識ですが、本来は健やかな心身をつくる食事療法のことを言いました。

健やかな心身があって、その副産物としてやせる、つまり適正体重になっていくということです。

もっとも体重というのは各人の体質や生活環境を一切考慮に入れない画一的な数値ですから、それをもって心身の状況を語ることは到底できません。

その大前提に立てば、減量のためには禁欲的で壮絶なプロセスを厭わないという、今までの方法には疑問を抱かざるをえません。

心身を抑圧し不健全にさせてしまうような方法で、どうして健康的な心身をつくることができるでしょうか。

たしかに自分を厳しく律し、ストイックな方法を喜び勇んで行える人は、それで事足りることでしょう。

しかしながら、今までダイエットに挫折してきた人、今まさに体調不良に悩んでいる人というのは、意志の弱い自分と向き合いながら抜き差しならぬ状況で苦しんでいる人が多かろうと思います。

そうした人たちに高原館は発想の転換を提案します。

人間はそれほど単純ではありません。身心一如の言葉の通りつくづく重層的です。目に見える単純なカロリー計算では測れない複雑性をそなえています。

ゆえに根性論的な減食発想から心も体も満ち足りる快食発想へ歩みを進めていく必要があるのです。

縛られた心を解き放てば、生命が輝き細胞が活性化します。おのずと体重など気にする暇もないほどに自分を愛することができるでしょう。

今を輝いて生きてこそ、その肥沃な土壌に美しい花が咲き誇るのだということです。

つまり、我慢せず、がんばらず、無理のないあるがままの自分でいてこそ、今とても気持ちよく生きられるのだと思います。

そして、その「今」の集積が将来の自分を形作っていきます。

これを食べてはいけない、こうしなければいけない、これだから自分はダメなんだ、このように自分にも物にも善悪二分の判断基準を適用し、さばき、責め立てる「べしべからず」に縛られていては、いつまでたっても満たされることはなく、自分を許せず他人にも優しくなれないでしょう。

とはいえ、ダイエット法はもとより現代人を取り巻く環境は、不自然を極め、そのままでは感覚も感性も鈍く麻痺していまい、食欲や味覚など、本来は自然にしたがっていれば良かったものも狂いを生じてきています。

だからこそ、ある期間まとまった形で自らを見つめなおし、「快」センサーをリセットし再教育する必要が出てくるわけです。

本当の快を追求すれば、おのずと道が開けます。

我々は原点に立ち返って、ダイエットの本当の姿、ダイエットの王道というべきものを発信することで、歪曲されたダイエット理論によって苦しんでこられた方々、どこか心が満たされず生きづらさを感じている方々の、救いとなれればと思っています。

これが本当の自分だと胸を張っていえるように、ともに実践していこうではありませんか。

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2014 9/15 (月曜日)

人間としてのバランスをとる断食

多くの病める人を救ってきた沖正弘先生がこんなことを言っていました。

『私の道場では、食事はもちろんのこと、あらゆる総合的な訓練法を実に合理的に行なっていると自負しているが、それでも効果の出ない人もいないわけではない。それが一体どういう人たちかいうと、肉体面のことだけに懸命になって、精神面の浄化と進化をすっかり忘れてしまい、生活是正の努力を欠いている人たちなのだ。体のためになることだけをいくら求め行なっても、心と生活の是正、向上させることを併せ行なわないかぎり、けっして救われないのだと、ここではっきり申し上げておきたい。私は体の方が三、心の方は七の割合で訓練して、やっと人間としてのバランスがとれるのであると教えているが、まさにそのとおりではないだろうか。』

沖先生の言動に説得力があるのは、ご自身が結核を16年、癌を13年と29年間、病気で苦しんだ経験があるからだと思います。

弟子に「先生はどういう方法で癌を治したのですか?」と問われて、「癌を治すことをやめたから治ったのだ」と答えたといいます。

この言葉にはとても深い意味があるように思います。

最近、僕は食事に関して、その日に出会う食べ物に縁を感じるようになりました。

過去には食事療法の理論に固執し、食材の善悪を弁別し、作為的に食事をしていた時期もありました。

自分の思い通りに行えていれば、幸せですが、何かの拍子で崩れたり、不可抗力に出くわしたりすると、猛烈な負の感情に悩まされるわけです。

食事療法の効果を相殺し得る影響力を、心は持っているものだと経験から言えます。

人生を真摯に振り返れば、「すべてのご縁に生かされている」という事実に思い至ります。

今日眼前に出会う食事もまた、一人の人格に触れるのと同じような心境でありたいと思うのです。

食前の心構えが重要になるということでもあります。

ろくに「いただきます」も言わずに、例え言ったとしても中身が伴わずに言葉ばかり上滑りしている場合、往々にして食べ方も心ここにあらずで、散漫、煩雑になりがちです。

反対に、食べる前に心の準備、落ち着きがある時というのは、感謝の気持ちを持って意識的に心ゆくまで味わえるような気がします。

そうなると、食べ過ぎることもなくなるでしょう。

『自然食をとっていれば、体の状態も自然に保てるなどと思っていたら、それは勘違いも甚しい。 自然食を自然食そのものとして受け取れる体であるかどうかを、まず問題にしなくてはならない。』と沖先生も言っていますが、

「食べる」ということは、生きるための栄養を取るというばかりではなく、不必要になったものを中和し、完全に排泄できることと、エネルギーを消耗する生活を伴って、はじめて円満に食物から栄養をいただくことができるということを忘れてはならないと思うのです。

「食べること」に臨むとき、いかに心身の態勢を整えるか。

食前に呼吸法を数回行ってもいいと思います。

または「いただきます」と心を込めて合掌するのもいいと思います。

沖ヨガでは「栄養摂取の誓い」を唱えます。
「栄養は自分に良いものを取り入れ、自分に悪いものを入れず、不要なものは出し切ることであると知りました。今からの私は、自分の内在智の教えに従って、自分に適し自分に必要なものを取り入れ、不要で不適なものは出し切るよう努めます。」

声に出して言うことで、潜在意識に刻まれ、行動が次第に変容します。

浄土真宗では食前と食後にこのように唱えます。
「多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうにめぐまれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。」
「尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。おかげで、ごちそうさまでした。」

曹洞宗では「五観之偈」を唱えます。

一つには功の多少を計り彼の来処を量る。
二つには己が徳行の全欠を忖って供に応ず。
三つには心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんがためなり。
五つには成道のための故に今此の食を受く。

意訳。  
第一に、われわれのいただく食には自然の恩恵をはじめ、多くの人々の労が費やされていることを忘れてはいけない。
第二に、食をいただくということは己のなすべき行いを果たすためであり。今日の自分にそれだけの資格があるかよく考えてみなければならない。
第三に、好きなものであっても貪りの心をもって食べてはいけない。また嫌いなものであっても怒りの心をもって食べてはならない。
食に対して迷いや過ちの心をもってはならない。
第四に、食は良薬であり、ゆえに己の体を枯死させないために服するものである。
第五には、今まさに人間としての真の道を成就させんがためにいただくのである。

そもそも食事というのは、自分が生きるために、他の生き物を殺すことです。

本来ならば、おのずと犠牲になってくれているものに対して、「すみません、ありがとうございます」の感情が沸き起こっていいはずなのです。

ところが、食べることがあまりにも日常的であり、慣れてしまうばかりに、感謝の気持ちもそこそこに、あたりまえにように食べてしまいます。

そればかりか、食物に善悪を決めつけ、自分かわいさに、より分けて食べるということは、利己的にすぎると言えないでしょうか。

その醜さは、これを対人に置き換えれば、すぐにわかることなのです。

モノと思えばできることも、それが生命と気づけば、躊躇されることもあるでしょう。

食事といえども、そこにおのずと人間的な感情があってしかるべきではないかと思います。

すなわち、感謝と懺悔です。

それを取り戻すために、日常性、習慣性を断つ、断食があります。

よりよく食べるために、食を断つ。

「断食」その語感から、食べることに対する、否定的なニュアンスがあるように思われますが、その内実、食べることに対して、きわめて肯定的な営みであるということにもはや気づかれたことと思います。

感謝のうちに食べることができる人は、自分にもその他のすべてのことにも、雑に接することはできないはずです。
それを健康と言わずしてなんというのでしょう。

病気であるかないか、短命であるか長寿であるか、それ以前に、その食事を味わい、その食事から気づき学び、今日も私たちは生かされているのです。

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2014 9/8 (月曜日)

食前の呼吸法

気が焦り、せかせかしていると、どうしても早食いになります。

あまり噛まずに飲み込んでしまうため、胃腸に負担をかけることにもなりますし、味わえないので満足感を得られず食べ過ぎてしまいがちです。

そこで有効なテクニックがあります。

食前の呼吸法です。

世界各国、食前の祈りというものがあります。

日本においても禅宗の五観の偈が 有名ですが、食べる前に居住まいを正し、心を落ち着けていただくための智恵なのだろうと思います。

現代日本でも「いただきます」という素晴らしい言葉が残っていますが、言葉だけが上滑りしがちで、その思想的背景にまで思いを馳せるということがあまりないのが現状ではないでしょうか。

あらためて、食のありがたさ、こうして生かされていることへの感謝の念を思い起こすためにも、「いただきます」をかみしめてみたいものです。

さらに、呼吸を使います。

ホリスティック医学の権威、アンドリューワイル博士が提唱している「くつろぎの呼吸」が簡便でなおかつ効果的に感じています。

鼻から4秒吸います(8分目くらい吸う)7秒止めます(酸素が全身に行き渡るイメージをもって)8秒口からゆっくり吐きます(ネガティブなものが出ていくイメージでもいいでしょう)

この呼吸を3回繰り返すだけで、心身がリラックスし、ゆっくりと感謝して食事をいただけるスタンスが定まります。

合掌して「いただきます」

めまぐるしく忙しない日常から隔絶した食卓にこそ、豊かな食生活というものがあるのだと思います。

決して豪華絢爛な酒池肉林をいうのではないでしょう。

時に気の置けない者と語らいながら、栄養摂取以上のあまりある食卓の意義を見出していきたいものです。

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2014 9/1 (月曜日)

「いただく」身構え、心構え

食事に関して、「何を食べるか」が大切であることは言うまでもありませんが、それにもまして「どのように食べるか」が重要ではないでしょうか。

食べ物を食べるということは、まず口にいれて、歯で噛み砕くことから始まります。

細かくこなして物理的に消化しやすくすることに加え、唾液に含まれる消化酵素を混ぜ合わせ化学的に消化しています。

ですから、時間をかけてじっくり噛むことで、内臓への過度の負担を減らすことができるのです。

反対に、このとき水分を過剰に摂取してしまうと、唾液が薄まり、良く混ぜ合わされないばかりか、胃液をも薄めてしまい消化が不十分になってしまいます。

本来であれば各種の消化液で消化しやすい形に分解され、また人体にとって有害な物質は無毒化されるのですが、その過程を経ないまま腸へと送り出されてしまうのです。

特に未消化のたんぱく質が腸壁から吸収されるとアレルギーの原因になるとも言われています。

また慢性的な内臓疲労は解毒力や排泄力、自然治癒力を低下させる原因にもなります。

それでは、健康のために、どのような食べ方が良いのでしょうか。

「かみしめて味わう」ことです。

その語感には、好意的に受け止め、それを自分のものとするために肯定的に精査、吟味していく真摯さがあるように思います。

その反対に「流し込む」の語感には無配慮、無分別に取り入れてしまう粗雑さがあります。

何かをしながら片手間に食べたり、食物に対して無関心であったり、嫌悪感を抱きながら食べることは、栄養を十分に吸収できないまでか、害になることさえあるのではないでしょうか。

心の影響力が内臓に波及することは、「緊張の場面でお腹が痛くなる」といった卑近な例を出すまでもなく、ごく自明のことです。

「いただきますー美味しゅうございますーごちそうさまでした」

感謝が貫く日本の作法が、心身に好影響を与えるということを今一度再確認しておきたいものです。

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2014 8/25 (月曜日)

つながり食

人間にとっての自然とは何か、これを追い求めることが真のデトックスを、ひいては人間の健康と幸福に寄与するとの確信を持ち、今まで筆を進めてきました。

そして、生命の土台となる食事の問題は避けて通れないことであるとの認識から、ここ数年、研究を行ってきました。

しかし、つくづく人間にとっての自然食とは何か、というのはとても難しい問題だと感じています。

コアラならユーカリの葉を、パンダなら笹の葉を、単品で何千年も食べてきたのですから、今さら自然、不自然の議論も起こってこないでしょう。

ところが、人間は長い歴史の中で多種多様なものを食べてきました。

いろいろなものを食べてきたからこそ、複雑で幅広い思考を身につけ、高度な文明を発達させてきたといえるのかもしれません。

一方で、人間特有の病気の原因になっていたかもしれません。

先人の研究成果の中に、人間にとって自然な食のあり方で指標とされるものに歯の本数があります。

歯の構成比から、肉食、菜食、穀物食の比率を導き出したものです。

また腸の長さによって肉食、菜食いすれに適しているのかを計る方法も提唱されてきました。

精神論や観念に寄らない、きわめて科学的、理性的な方法だと感じています。

それと同時に、それだけでは解決できない現代の複雑な疾病構造に思い至ります。

食に関わるここ数十年の、顕著な変化として、食品の精製度が飛躍的に進み、特に糖質においては、あきらか
に人体に害になっているということです。

人間にとって何が自然であるかを計る指標として、それによって病気になるか、ならないかというのも重要ではないでしょうか。

精製された糖質は、その吸収率の高さゆえ急激な高血糖状態を招きます。

これが血糖値をコントロールする膵臓や各種内分泌系に与える影響は想像に難くありません。

現代人に蔓延する低血糖症や糖尿病がその典型的な例で、自然を逸脱した人間の食生活に対する警鐘といえましょう。

また慣行農業でつくられる野菜には農薬や偏った化学合成肥料が大量に使われていることも問題です。

土壌汚染も進み、野菜本来持っていた味が失われていることに気づく人は多いですが、当然栄養が損なわれていると考えるべきです。

肉や魚も同様で、飼育や養殖の方法に、いかに人為的で不自然な方法が導入されているか直視しなければなりません。

食材に対する冷徹な視点を欠けば、内実の伴わないうわべだけの健康食に終始してしまいます。

飽食の時代における「栄養失調」という逆説的と思える現象が、すでに日本を巣食っています。

野菜を食べればいい、という単純な問題ではなくなってきているのです。

ここで生理学的な観点で、人間にとって自然な食のありかたを二つ挙げてみます。

・食後の血糖値を上げ過ぎないこと
・バランス良く栄養をとること

これは食材の選び方から、調理法、食べ方に至るまでの再考を促すものです。

さらに人間的な観点で、人間にとって自然な食のありかたを提案してみたいと思います。

「つながり食」です。

今を生きる人間を中心に、三方向のつながりを意識してみます。

上下のライン、つまり天地とのつながりです。

それは天は気候、地は土壌を表し、その土地の食材を、旬にいただくという原初的なあり方のことです。

左右のライン、すなわち同時代を生きる人間同士のつながりを表しています。

食材の生産者や調理する人、さらには食卓を囲む人々との心の交歓を重視する精神的なあり方のことです。

前後のラインは時間、歴史です。

今を生きる人間の前には数え切れないほどの先祖がいます。

その人たちの苦労の上に、今こうして健康と幸福を願える時代に生きていられることを感謝することです。

また先祖が歩んできた歴史をみることで、何をどのくらいどのようにいただけば良いかおのずとわかってくると思うのです。

さらに、これから先の世代、子孫に対しても、負の遺産を残さないために今何ができるかを考えることも、人間としての自然性を考える上ではずせない視点であると考えます。

人間は、ただ機械的に食べ、糞をするだけの無機的な人糞製造機に終始したいと誰も思っていないでしょう。

他の生命をいただいて今こうして生かしていただいているのであれば、犠牲になった生命に報いるためにも、価値ある生き方をしたいと思っていいはずです。

このように空間、時間、人間のつながりに思いを馳せることができるのが人間だけであるに違いありません。

空間に対する畏敬
時間に対する感謝
人間に対する謙譲

そこに人間としての自然が、もっと言えば人間として最も輝けるあり方があるのだろうと考えます。

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    2泊3日 32,340円

  • 基本プラン

    3泊4日 48,510円

料金には、宿泊、食事、面談、マッサージ、カッピング、温泉、講座、ヨガや瞑想などが含まれています。

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