心軽やかに瞑想しよう!
こはりです。
瞑想を習い始めました。
今日はヴィバッサナー瞑想。
自分の呼吸にフォーカスしていく仏教的な瞑想法。
座学を交えながらまず1回目10分間。
はじめは呼吸に意識を向けていられたのですが、次第に足の痛みに気をとられ、周囲の音が気になり始め、ムズムズ、イライラ早く終わらないかなと思い始めてしまいました。
これから日を追うごとに20分30分、最終的には50分瞑想できるようにしていく予定だそうで、これじゃ先が思いやられるなと半ば失望状態でした。
ところが先生はそんなこと織り込み済みとばかりに、やさしく諭してくれました。
はじめから神秘体験を求めたり、すばらしい体験であるという先入観や、神々しい理想を求めていては、部分的であり理解が浅くなる。
そしてうまくできない自分を隠蔽したり否定したり責めたりするようになる。
これでは瞑想とは程遠い、ただのもがきではないかと。
瞑想は人生そのもの。
瞑想は苦しいよ。
辛いだけかもしれない、腰や足が痛くてそればかり気になってしまうかもしれない、それでもいいじゃないか、プロセス一歩目から瞑想だよ。
喜怒哀楽すべて自分の人生。
何を体験してもいい、すべて必要なんだよ。
瞑想も人生も「すべてはパッケージ」
いいことも悪いことも受け止めることができてこそ、瞑想やヨガが始めて日常生活に応用できるのではないか。
アーサナをして、呼吸やエネルギーを動かしてからの2回目。
1回目は「早く終わらないかな」→「やっと終わった」という感想でしたが、
2回目は「もう終わったの?」という感じでした。
1回目の反省から座り方を工夫したのが良かったのかもしれない、2回目という安心感と慣れがあったかもしれない、いずれにしてもその変化は自分でも驚くものでした。
自分の中の体験からしか学びはない、人からの教えは所詮知識でしかない。
「今」ここで起きていることに目を向け味わう。
ブッダが瞑想中に立ち現れる神秘体験を魔境であると退けた真意がわかったような気がしました。
思いのほか瞑想は身近なもののようです。
瞑想後、少しやさしくなれた自分がいました。
オープンハート!
なおです。
『マクロビオティック』
これは、玄米と野菜を中心にいただく自然に則した食事法です。
自然食に興味を持ち始めた頃から、この言葉は聞いたことがありました。
でも、それを深く知ることも 探求することもありませんでした。
自分には少し難しくて 厳しいような気がしていたから。
でも、ある方との出会いのお陰で、
私のマクロビオティックに対する考えは、大きく だんだんと変わり始めています。
中嶋デコさん。
千葉県にあるBrown’s Fieldで、マクロビオティックな食事を通して
シンプルライフを実践されている方です。
機会に恵まれて、先月からBrown’s Fieldでのお料理教室に参加しています。
このお料理教室は、普通の料理教室とはちょっと違います。
例えば畑でお野菜を収穫したり、稲刈りをしたり。
作った料理を自然の中でみんなで食べて、
マクロビオティックのことや自分の生き方をみんなで分かち合います。
自然と人、そして人と人との繋がりを感じられるお料理教室です。
先月と今月、作ったお料理です。
何か新しいことを始める時
それまで執着していた事やこだわりを手放してみると
物事は意外とすんなり心に入ってきてくれるようです。
オープンハート!
いろんなことに素直に心を開いてみると
これまでとは違う 新しい世界が待っているような。。。
そんな気がします。
来月のお料理教室も、オープンハートで楽しんできます☆
断食の効用
こはりです。
梅干しひとつに、手を合わせ「あ~ありがたい」拝むようにして食べる姿。
飢えを味わってたどりつく境地です。
施設に来たときは疲れきっていた人が、帰る時になると晴れやかな満面の笑みで「ありがとうございました」と連呼する光景を目の当たりにします。
それは断食によって生理的に休息し体調が整ったせいもあるかもしれませんが、むしろ心の底からわきあがる感謝の気持ちを抑えきれないと言った方が近いかもしれません。
ストレスフルな忙しい生活を送っていると「なんで私ばかり不幸なんだろう」そんな思いにかられることもあるでしょう。
そこで意図的にでも飢餓感を味わってみる。
今までは気にも留めなかったこと、些細と思っていたことが、いかにありがたいことだったかに気付きます。
「生かされている」感覚。
断食の最も大切な目的はそこにあるように思うのです。
目先のことを言えば、断食は体を浄化し、また食生活を変える上で相当なインパクトがあります。
それもひいては価値観、そして生き方が変わることを意味しています。
きわめて本質的なアプローチです。
欲望の飽和した現代。
なんでも手に入る豊かさとひきかえに、“幸せ”を感じることができなくなったのではないでしょうか。
断食はふくらみすぎた欲望をグッと抑え込むことで、本質的な幸せに気付かせてくれます。
14の8000メートル峰を踏破した世界的な登山家ラインホルトメスナーは、
『私は自分が自然の一部分であるということを強く感じています。私と水や木や草との間には何の区別もない。同じひとつの流れの中にあるのです。科学や医学が進歩によって私たちは昔の人よりずっと多くのものが見えるようになった。しかしその代償として何か一番大切なものが見えなくなってきているように思うのです。私は人より超人的な体力や耐久力を持っているというわけではありません。ただ私は生命力を発揮する方法を人よりよく知っていたと思います。生命力とは自分が所有しているというようなものではなく、私たちの周囲に無限に存在し、うずまいているものなのです。その生命力をスムーズに体の中に取り入れ、そしてまたスムーズに外へ出していく。それが調和的にうまくいったとき遠征が成功するのです。するとまた大きな喜びとともにエネルギーが体に戻ってくる。人間はいわば生命力の通り道のようなものなのです。』と言っています。
なぜ断食するのか?
それは私たちの周囲に無限に存在し、うずまいている生命力に気付くためではないでしょうか。
地球もその一部分である人間も、宿痾の治癒はその延長線上にあるはずです。
ゆえに断食は地球自体が疲弊しつつある現代にこそニーズがあるように思います。
またラインホルトメスナーは、
『科学技術の進歩を後戻りさせることはできないと私は思っています。しかし、もし人間が自然とのコンタクトを失わず、自然が伝えてくれるメッセージに素直に耳を傾けるなら、人間はたぶん大きな過ちは犯さないだろうと私は思っています。今一番大切なことは国や企業を糾弾するキャンペーンよりも、一人一人の人間の心の中の革命です。それも普通の人々の、普通の生活の中での心の変革が、実は一番大切だと思います。広い意味で地球はまだまだ大丈夫だと私は思っています。』とも言っています。
ボディ、マインド、スピリット、そして社会、自然、環境問題を包括した「ホリスティックな断食」の地平には「一人一人の人間の心の中の革命」があるように僕は思います。
人間が人間らしくなる場、その人が本来もっているやさしさが溢れ出してくる場に立ち会うことができ、僕は本当に幸せだと思います。