生まれた時から不況しか知らない世代のせいか、草食系というかむしろ断食系?という、個人的な性質のせいか、物欲があまりないほうで、お金を稼ぎたいとか、マイホームを持ちたいとか、かっこいい車に乗りたいとか、思わない質で、俗に言う「男らしさ」に欠けるので、頼りなくみられがちだった。
そんな僕が、なぜ今こうして人並みに生計をたてているかといえば、人間の「本質」に迫りたいという、どういうわけか僕の関心事があるからだろう。
枝葉の議論がまどろっこしくて、ストレートに「なぜ生きるのか?」「よりよく生きるとは?」が知りたくて、思いついたのが、この仕事だった。
個人的な興味から始まって、数年働かせてもらって、こんな僕でも人の役に立ちたい、という良心というか、身の丈に合わない生意気なことを考えはじめて、あるとき、寝床で絶叫したことがあった。
「どうか、この僕を使ってください!どんな試練でも甘んじて受けます!」
憧れる斯界の先人が何人かいる。
その人たちを思い浮かべて、訴えかけた。
突き抜けたい、後に続かせてほしいと。
まもなく、人生最大の不調に見舞われる。
まる1年は生きた心地がしなかった。
全身から血がにじみ、痛みのあまり一睡もできない日が続き、呼吸困難で死の恐怖におびえる夜が続いた。
その最中は、七転八倒で、冷静に顧みることはできなかったが、小康を得て、そうか、あの時の言葉が聞き入れられていたのかと得心するに至った。
一番苦しいとき、僕は近所の古本屋で、ある宗教家の本に出会い、精神的に救われた。
眠れぬ夜を「祈り」に費やすことができたからだ。
「御心のままになさしめ給え」
過去の自分であったら、見向きもしないこと、祈りや信仰とも無縁であった。
自力が尽き果て、救われたい一心で、自分なりに心の世界に深く分け入り、自他を責め、裁く思いがあったことに気がついた。
自他をゆるし、愛すること。
今までとはまた違った次元で無頓着になった。
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