(今いたるところに咲いているヒメヒオウギスイセンです♪)
高原館のゆるゆる日記「書くことは『思い出す』こと?」
こんにちは、高原館のくさむらです。
悲しことや苦しいことがあったとき、
心の中では「なぜ?!」「どうして?!」と、
納得いかない気持ちが発生していることに気が付きます。
脳は良くも悪くも、すご~く忘れやすく出来ています。
一方で「悲しい」「苦しい」といった、
インパクトのある一瞬は記憶として強烈に残ります。
でもその一瞬の前後はすぐに忘れてしまいます。
悲しみや苦しみの前後が抜け落ちてしまうと、
なぜ悲しい気持ちになったのか、
なぜ苦しい気持ちになったのかが分からなくなってしまいます。
仕事でミスをして怒られ、
悲しくなったのだとしたら、その裏に、
「なんでわたしが怒られなきゃならないの?!」
という気持ちが潜んでいることがあります。
ミスをした自分が悪くても、
「なんで?!」という気持ちが発生してしまいます。
それはその前後が抜け落ちてしまっているからのように思います。
例えば自分がレストランで働くウェイトレスだったとします。
お客さんから受けた注文をキッチンへ伝え忘れてしまいました。
お客さんは「まだ料理が来ない!」と怒り帰ってしまいました。
お客さんから怒られ、そして店長からも叱られてしまいました。
そんな出来事があったとします。
この場合、自分がオーダーを通し忘れたことが原因ですから、
「自分のミスだ・・・」と反省します。
でも一方で「なんで私のせいなの?!」とも感じる。
例えばそのとき物凄くお店が混んでいて、
自分に余裕が無かったとします。
そうであるとしたら
「あの時はとても忙しくて他にやることがたくさんあったから、
ついオーダーミスをしてしまったんだ」
という気持ちが残ります。
お店が混んで忙しいのは自分のせいではない。
こんなに混んでいるのにスタッフが少ないからいけないんだ。
そんな気持ちが発生するかもしれません。
それらをひっくるめて、
「なんで私が怒られなきゃいけないの?!」
という感情が湧いてきます。
でも、脳はすご~く忘れやすいですから、
その時お店がとても混んでいて自分に余裕がなかったこと、
スタッフの人数が少なくて大変だったこと、
それでも精一杯頑張っていた自分のこと、
あらゆることを忘れてしまいます。
頭の中だけで考えると、
ストーリーとして思い出す事ができないので、
怒られた瞬間のことだけがリピート再生します。
「怒られた!悲しい!悔しい!」
この思いだけが強烈に残って支配されてしまいます。
その他の部分はうっすら頭の中にある程度で、
ほとんど意識下で把握できなくなってしまいます。
あの時はすごく混んでいて大変だったんだ・・・
スタッフの人数が足りなくて大変だったんだ・・・
でもお客さんが怒るのも無理ない・・・
店長が怒るのもしょうがない・・・
しっかりそのことが把握できると、
「いろいろしかたなかったんだなぁ・・・」と納得します。
これはただ抜け落ちてしまってた部分を思い出しただけです。
それだけのことですが「なんで?!」が無くなるので、
気持ちが落ち着いていきます。
たったこれだけのことでも、
「怒られた!悲しい!悔しい!」の気持ちが強烈すぎるので、
意識で把握する事ができなくなってしまいます。
でもその状況のことや感情を書き出してみると、
怒られた場面に支配されず他の場面を思い出す事ができます。
強烈に印象づいた場面や感情に支配されず、
その場のことを思い出す事ができると気持ちは落ち着きます。
それは「なぜ?!」が減っていくからだと思います。
悲しいのも、苦しいのも、その感情の強さにより、
それがどうして発生したのか簡単に忘れてしまいます。
「なぜ?!」「どうして?!」。
わかっているつもりでも、実は忘れかけてしまっています。
ただ忘れかけているだけ。
ということは、ただしっかりと思い出すだけ。
それだけで気持ちは軽くなっていきます。
書くことは「思い出すこと」とも言えるのかもしれません。
人は思い出すことでもっと楽になっていけるのかもしれません。
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