やすらぎの里・30周年記念寄稿
私は、いつから、
自分を追い立てるようになったんだろう。
ふと、そんなふうに、
思うことはありませんか。
もっと早く。
もっと良く。
もっと頑張らなきゃ。
そんな言葉が、
気づかないうちに、
心の中で、当たり前になってはいませんか。
一日の終わり、
ようやくベッドに入っても、
頭の中は、まだ動き続けている。
明日の予定、
誰かの言葉、
うまくいかなかった出来事。
呼吸することさえ、
忘れてしまったような夜。
この記事は、
走り続ける日々を、
少しだけ、立ち止まるための入口です。
30年前、やすらぎの里は、
八ヶ岳の麓にある
小さな断食施設として始まりました。

当時の名前は、
「ライフスタイル改善センター・フォルス」
今思うと、
ちょっと長い名前ですよね(笑)
でも当時は真剣でした。
食事、運動、規則正しい生活。
人は、生活習慣を整えれば、
体も良くなる。
私自身も、
そう信じて疑いませんでした。
けれど、
そこに集まる方々と向き合ううちに、
私は、ある違和感を抱くようになりました。
健康になろうとするあまり、
自分を責めてしまう人。
食べることに囚われ、
幸せから遠ざかってしまう人。
「もっと良くならなければ」と、
心を追い立て続ける人。
ある日、
膀胱がんを患い、
会社を手放し、
那須高原で自給自足の生活をしていた、
年配の男性の方に、
施術の最中、こう言われました。
「大沢くん、幸せって、心のやすらぎだよね」

その一言が、
胸の奥に、静かに、
そして深く残りました。
それまで積み上げてきた「正しさ」が、
静かに、溶けていくような感覚でした。
健康になることは、
目的じゃなかったんじゃないか。
そんなふうに、
はじめて思ったのです。
体を良くすることばかりに目を向けて、
心の居場所を、置き去りにしていたことに、
そのとき、はじめて気づかされたのです。
それから数年後、
伊豆高原へと場所を移し、
名前を「やすらぎの里」に変えました。
“よくなるために頑張る場所”ではなく、
“そのままの自分でいられる場所”をつくりたかったのです。

30年の間、
たくさんの方が、
ここを訪れてくれました。
そして、
同じような瞬間を、
何度も目にしてきました。
肩の力が、
ふっと抜ける瞬間。
呼吸が、
深くなる感覚。
何もしなかった一週間が、
「人生で一番大切な時間だった」と言われる帰り際。
ある方は、
こう話してくれました。
「あれもやろう、これもやろうと、
本やパソコンを持ってきました。
でも、結局、何もしなかったんです。
それが、一番深く休めた時間でした。」
何かを足したから、
満たされたのではありません。
手放した分だけ、
心が戻ってきたのです。
「空っぽで、満たされる。」
それが、
やすらぎの里で起きていることでした。

今、私たちは、
鳴り止まない通知、
画面を開けば流れてくる情報、
誰かと比べてしまう気持ち、
気づけば背負っている、
役割や期待に囲まれて生きています。
脳は、
休むモードに切り替わる暇もなく、
ずっと“考える状態”のまま、
走り続けている。
だからこそ、
現代における断食施設の意味は、
胃腸を休めることだけではありません。
食べないことで、
いつの間にか走り続けていた思考が、
静かになります。
何もしない時間の中で、
心と体が、
本来のリズムを思い出していく。
頑張って、
もっと良くなろうとする場所ではなく、
人生のコンセントを、そっと抜く場所。
私にとって、今のやすらぎの里は、
「空っぽで満たされる」
そんな場所になってきた気がしています。

30周年という節目に、
改めて、みなさんに伝えたいことがあります。
駆け足の人生を立ち止まり、
忘れていた自分のリズムを思い出していく時間。
それは、
特別なことではありません。
ゆっくり食べる。
少し早く眠る。
ほっと息を吐く。
自分を、追い立てない。
どれも、
頑張らないからできることです。
滞在は、終わりではなく、始まりです。
日常に戻ってから、
ほんの小さな選択が、
ふとした拍子に、気持ちを楽にしてくれる。
そんな場面を、何度も見てきました。
朝、目覚めたとき、
気持ちよくできること。
それだけで、
今日が少し違って感じられる。
そんな感覚を、
持ち帰ってもらえたらと思っています。
私は、
いつになったら、
自分に、もう少しやさしくできるんでしょうか。
その答えを探す旅が、
ここから、静かに始まるのかもしれません。
「ととのえる、旅。」













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