(幼げな表情で見つめる64歳。※12歳は人間で換算すると64歳だそうです)
こんにちは、高原館のくさむらです。
悲しみや怒りを感じると苦しいです
わたしはそんな時、とにかく書きます。
紙に書く、もしくはスマホに打ち込みます。
そして気持ちの整理整頓ができるまで書き続けます。
書ききったら、メモ紙は捨てるし、スマホに打った文章は削除します。
書くことは自分の観察です。
前回のブログで「思考や感情の見える化」と表現しました。
これはつまり「観察」であるなと気が付きました。
自分を観察なんてして何になるのか。
観察すると「楽」になります。
なぜなら脳は一つのことしかできない作りになっているから。
観察しているときは悲しみや怒りを感じられない、
あるいは、かなり感じにくくなります。
観察をしていても、思考のスイッチングが超高速で行われますから、
観察→悲しみ→観察→悲しみ→観察・・・
を繰り返すことで「全然悲しみを感じない!」とはなりませんが、
悲しみ→悲しみ→悲しみ→悲しみ・・・
をひたすら続けるより、はるかに気持ちの負担が減ります。
観察しているときは観察しかできない。
悲しみを感じているときは悲しみを感じることしかできない。
脳は一つのことしかできないという特徴を知ると、
楽になるのはさほど難しいことではなくなってくるかもしれません。
悲しみや怒りなどの苦しみが襲ってきたら、
それを観察すればよいからです。
悲しみや怒りを感じるという立場から、
悲しみや怒りを観察するという立場に移ればよいということです。
悲しみや怒りという不快感はそのまま放置すると
辛いまま抜け出せないです。
でも自分が苦しんでいることに気が付いて、
観察する側に回ることができれば辛さは半減します。
しかしそれだけで解決するかというとそうではなくて、
観察し続けるという難しさがあります。
いつもいつも書いてることはできないですし、
いつもいつも話していることもできません。
書くことや、話していることをしていない時間は、
どうしても観察側に回ることが難しくなります。
それであれば、一日のうちでちょっとの時間でも、
自分を観察する時間を意識手に持つことをおすすめします。
もしくは「辛いな・・・」と感じたときは「書く」という癖をつける。
大切なことはずっとそのまま「放置」しないということだと思います。
書くことを長い期間ずっと続けていれば、
もしかしたら時期に書いていないときでも話していないときでも、
自分を観察し続けられるようになるかもしれません。
そうなれば、悲しみや怒りという感情に振り回されず、
いつも静かで冷静な気持ちを保っていられます。
「書くことは自分を観察すること」
だいぶシンプルになりました。
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