※この記事は、やすらぎの里の元養生館館長・小針先生が、以前書かれた文章を、現在のサイト用に再編集したものです。
こんにちは、こはりです。
人間にとっての自然とは何か――つながりの中に、答えがある
ご先祖様にお願いしたら、妻と出会えた話をしてもいいですか。
僕には、結婚願望がありました。 でも、なかなか出会いがなくて。
ある日、慕っていた曾祖母の墓参りをしていたとき、墓石の傍らに腰かけ、しみじみとお願いしたのです。
「おばあちゃん、結婚したいんだけど、いい人と縁を結んでくれないかな」
それが通じたのか、ほどなくして今の妻と出会い、短い交際期間を経て、とんとん拍子で結婚に至りました。
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結婚も、命も、自分ひとりの力ではない
結婚というのは、当事者だけの問題ではないように感じています。
両家の合意があって、その場にいない先祖も含めた、大きな流れの中で成り立っていくもの。
追い風が吹くときとそうでないとき、その違いを肌で感じた経験がある方も、きっといるのではないでしょうか。
子供を授かることについても、同じように思っています。 当事者の体調はもちろんですが、家系の存続を願うご先祖様の援護も欠かせない。
以前、不妊治療に向き合っている方へ向けて、こんな文章を書いたことがありました。
「往々にして、寄る年波とせめぎあい、切迫して戦々恐々としがちな不妊治療ですが、たまには穏やかな心境で亡き祖先に手を合わせてみるのも、感謝の気持ちを思い出す良いきっかけになるでしょう。連綿と受け継がれた命脈の末端に位置し、次代にバトンを渡そうとするとき、いかに自己を超えられるか。」
先祖を敬うことの、本当の意味
僕はもともと、手技療法の勉強から出発しました。
先人の歴史を紐解く中で、名人と呼ばれる方々の、人知を超えたような働きに触れることがありました。
修練を積むと、第6感が開眼する。 それは手技療法に限らず、あらゆる分野で共通することのようにも思えます。
近代日本を代表する伝説のヒーラーに、松下松蔵という方がいました。
常識では考えられない治癒を数多く行った方ですが、その条件として、忠・孝・敬神・崇祖の実践を説いていました。
「人間には、神の定め給うた人間道がある。忠、孝、敬神、崇祖の4つがそれだ。この4つさえ正しく行うなら、悪因縁のない人間なら、断じて病気をするものでない。(中略)実に孝は百行の本じゃからのう。」
奇跡は方便であり、デモンストレーションに過ぎなかった。 本質は、人としての道を諭し導くことにあったわけです。
供養とは、形ではなく心のあり方のこと
「墓参りを怠っているから家運が傾く」とか「墓参りに行けば開運する」という言説が巷にあります。
でも、少し立ち止まって考えてみてください。
墓参りに来ないからといって、ふてくされたり、罰を与えようとご先祖様は思うでしょうか。
生きている時でさえ、そんな底意地の悪い人間にはなりたくないと多くの人が思っているのに、死んでまで俗っぽい報復をするとは、僕には思えないのです。
むしろ、血縁のある子孫が墓参に来てくれたなら、かわいい子孫だなと目を細めることはあるかもしれません。
線香の本数より、心がこもっているかどうか
線香の本数がどうとか、お経の種類がどうとか。 そういう細かいことを、死後もいちいち気にするだろうか、と。
形が不完全でも、心がこもっていれば、まったく問題ないと思っています。
もし子孫が供養のために大金を使おうとしたら、僕はきっとあの世から叫ぶでしょう。
「そんなことより、自分や家族のために有意義に金を使ってくれ。なにより、僕のことなどあまり気にしないで、悔いの残らないように今を精一杯生きてくれ!」
今を生きる子孫の調和と成長が、なによりの供物。
これが親心であり、一足先に経験したOBとしての務めなのではないでしょうか。
「人間にとっての自然食」という、難しい問い
ここ数年、「人間にとっての自然とは何か」を追い求めながら、生命の土台となる食の問題を研究してきました。
コアラはユーカリを、パンダは笹を、何千年も単品で食べてきた。 彼らに、自然・不自然の議論は起こりません。
でも人間は、長い歴史の中で多種多様なものを食べてきました。
それが豊かな思考と高度な文明をもたらした一方で、人間特有の病気の原因にもなってきたかもしれない。
歯の構成比から食の比率を導き出したり、腸の長さから肉食・菜食への適性を測ったり。 先人の研究は、精神論に寄らない、科学的な視点を教えてくれます。
同時に、それだけでは解決できない現代の複雑な疾病構造も見えてきます。
精製食品が招く、現代の「栄養失調」
ここ数十年で最も顕著に変化したことのひとつが、食品の精製度の飛躍的な向上です。
特に糖質においては、あきらかに人体に害になっています。
精製された糖質は吸収率が高いがゆえに、急激な高血糖状態を招きます。 膵臓や各種内分泌系への影響は、想像に難くないでしょう。
現代人に蔓延する低血糖症や糖尿病は、その典型的な例です。 これは、自然を逸脱した食生活への、体からの警鐘といえます。
野菜を食べれば安心、ではなくなっている
慣行農業の野菜に使われる農薬や化学合成肥料の問題。 飼育・養殖の現場に持ち込まれた、不自然な方法の問題。
野菜を食べればいい、という単純な話ではなくなっています。
飽食の時代における「栄養失調」という逆説的な現象が、すでに日本を巣食っている。
食材の選び方から調理法、食べ方に至るまで、今一度立ち止まって考えてみる必要があるのかもしれません。
「つながり食」という考え方
では、人間にとって自然な食のあり方とは何か。
僕は「つながり食」と呼んでいます。
今を生きる人間を中心に、三方向のつながりを意識する食のあり方です。
上下のライン――天地とのつながり
天は気候、地は土壌。 その土地の食材を、旬にいただく。
これが最も原初的で、自然なあり方です。
左右のライン――同時代の人とのつながり
食材をつくってくれた生産者、調理してくれる人、一緒に食卓を囲む人々。
その心の交歓を大切にすること。 食は、人と人をつなぐものでもあります。
前後のライン――時間と歴史とのつながり
今を生きる私たちの前には、数え切れないほどの先祖がいます。 その苦労の上に、今こうして食卓を囲めていることへの感謝。
先祖が歩んできた歴史をみることで、何をどのくらいどのようにいただけば良いかも、おのずとわかってくるはずです。
そしてこれから先、子孫に対して負の遺産を残さないために今何ができるかを考えること。 それもまた、人間としての自然性を考える上ではずせない視点です。
空間への畏敬、時間への感謝、人間への謙譲
人間は、ただ機械的に食べるだけの存在ではありません。
他の生命をいただいて、こうして生かされているのなら、犠牲になった生命に報いるためにも、価値ある生き方をしたいと思っていいはずです。
空間に対する畏敬。 時間に対する感謝。 人間に対する謙譲。
このつながりに思いを馳せられるのは、人間だけではないでしょうか。
そこに、人間としての自然が――もっと言えば、人間として最も輝けるあり方があるのだろうと、僕は考えています。
やすらぎの里では、食と体の関係について、もう少し深くお伝えしています。 よかったら、こちらもあわせてどうぞ。












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