最近、感動しない、幸せを感じられない。
そんな方は、頭で考えてばかりいるからかもしれません。
人間は「考えること」と「感じること」は、同時にできない性質があるようです。
最近こんなことがありました。
電車を乗り継いで、ある目的地に行くとき。
出発前にあらかじめ行き方を調べ、乗る電車も把握していたのですが、
道すがら、ずっと考え事をしていたら、電車を間違えてしまったのです。
その間違えた電車は、翌日に行く予定の目的地への電車だったのです。
考え事にほとんど頭を使い、ごく限られた意識で、ホームまでの道のりを選び、電車に乗り込んだのでしょう。
しかし、いかんせんマインドレス、うわの空、心ここに在らず。
無意識に誤った行動をしてしまったのでした。
ある程度時間が経ってから、ふと我にかえって、車内の雰囲気を感じ、表示板の駅名を見て、間違いに気がつきました。
「世界を感じられていない」
背筋が寒くなりました。
確実に僕はこの世界に存在していながら、存在していないということ。
どんなに素晴らしいテレビ番組が放送されていても、アンテナがなければ受信できないように、世界に愛が溢れていても、感受性がなければ、感動も幸せも感じられないということなのです。
思考は往々にして、不安や恐怖が根底にひそみ、概してネガテイブな思考にはまり込んでいきます。
1日の大半をそうした妄想に過ぎない思考に占められていたら、これほど損で苦しいことはありません。
思考に流されず、はまりこまず、さらりと流して、感じることに徹する。
つまり、瞑想は、日常とかけ離れたものではなく、日常に直結した、日常を鮮やかに蘇らせる、極めて本質的な営みと言えるでしょう。
1日3分からでも習慣にしたいものです。
練習を積み重ねることで定着していきます。
養生館の滞在は、日常生活における「幸せの実感」を足がかりに、「瞑想の習慣化」へと繋がっていくことでしょう。
最近のコメント