全身のアトピーに悩む女性。
ステロイドを塗れば治まるが、次第に容量が増え、副作用の情報に触れる度に自己嫌悪に陥る悪循環。
食生活改善や、代替療法も実践してきた。
それでも治らない。
お会いした時、顔を真っ赤に腫らし、薬や、医師への不信感をあらわにしているようでした。
女性にとって症状が顔に出るということが、どれほどつらいものか、想像を絶します。
良心的な皮膚科医もたくさんいるのでしょうが、症状を一瞥して、ただ薬を処方するだけの診察もあって、気持ちのやり場に困ることもしばしばです。
「ひどいね」
「なんでここまで放っておいたの」
「ちゃんと薬を塗らなきゃダメじゃないか」
頭ごなしに怒られたりして、初めて会って私のことを何もわかっていないのに、なんでこんな言い方されなきゃいけないんだろう。
「つらいのによくがんばってきたね」
「これから一緒に治していきましょう」
こんな言葉をかけてもらえばどれだけ救われるか。
共感してもらいたい。
それだけなのに。
養生館滞在で症状が緩和し、喜びもつかの間、家に帰ってからまた真っ赤に腫れてきて、いらだたしいような情けないような。
「先生もつらい時期があったと聞きましたが、つらいときはどう乗り越えましたか?」
「つらいときは理屈抜きでつらいです」こう答えました。
聖人君子ではありませんから、七転八倒の苦しみ、葛藤の連続です。
魔法のような方法はありませんでした。
今でも、思い出すだけでつらいのですが、でも振り返ってみれば、人との出会い、本の一節、どん底にあっても、なにかしら縁があって、生きていられた、そして今があるのではないかと思いました。
「どうしても自分を責めてしまうんです」
人の目に触れるはずかしさも、一日中止まない痛さ、かゆさも、服がこすれる不快感も、鏡に映った自分の体を見るときのいたたまれなさも、疲れているのに眠れない夜も、この肉体を脱ぎ去りたいという衝動も。
全部知っているのは他の誰でもない自分だけなのだから、「つらいのによくがんばっているよ、もうがんばらなくていいよ」と言えるのも自分だけなのだろうと思います。
「自分を甘やかすことと違うのですか?」
がんばり屋のあなたは聞きました。
甘やかしていいじゃないですか。
甘えたらいけない、頑張らなければ、いつからかこうした強迫観念が植え付けられています。
前向きな向上心にかわればいいのですが、それが後ろ向きに自分を責めることになってしまっては全く意味がないと思うのです。
今の自分を認め、ゆるしてみたらどうでしょう。
自分を責めてしまっていることに気づいたら、そんな自分に「つらい症状に向き合っているだけでも、大変なことだよ」「もうそんなにがんばらなくていいよ」と声をかけてあげます。
落ち込んでいる自分に気が付いたら「つらいからしょうがないよ」「誰だって落ち込むよね」と声をかけてあげます。
何度も何度も、ネガティブな思いに駆られるたびに、繰り返し語りかけたらいいと思うのです。
否定的な思いも、後ろ向きな言動も、決して悪いことではなく、より良くなるために出てくる。
症状がそうであるように、良くなっていくためのプロセスと心得て、
「いいよ」「OK」「大丈夫」
それを受け止める言葉が、反射的に、いつも体に鳴り響くようになったら、否定的な思いやこびりついた習性も、いつしか最小化されていくことでしょう。
思い起こせば、自力で踏ん張っていた時期がありました。
「人事を尽くして天命を待つ」
自力でがんばってこそ、結果が得られると。
でも、辛酸をなめ尽くし、今では、
「天命を信じて人事を尽くす」
流れに身をまかせれば、人生はひとりでに花開く。
そんな心境に至っています。
今でも、否定的な思いが起こります。
いつも心が青空ばかりとは言えません。
それでも、天命を信じるようになって、以前よりはサラリと受け流せるようにはなってきたと思います。
ゆるし、ゆだね、無為にして為す、自然法爾、安心立命、全託…
これが僕の人生のテーマ、天命なのだと信じて。
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