ここのところ体調がすぐれなかった。
頭痛と腹部の違和感でぐったりとしてしまう。
体が弱ると心細くなる。
そして、同じく病める者に対するやさしさを取り戻せる。
人間は忘れる生き物で、つらい体験も過去のものとなると、その経験で得た学びも薄れていく。
ともあれ仕事中なので横になることもできず。
養生講座の直前、「話せるか…」と一抹の不安がよぎったが、「みなさんのお役に立てますように」と祈りで不安を打ち消し臨んだ。
現状を徹底的に肯定し活用していこうとするときに「治りますように」と懇願しないことにしている。
この状態にも何か意味があるはずだと「今」から心をそらさないようにする。
僕がこの世界に入るきっかけは複数あるが、沖正弘先生の思想に触れたことも大きい。
『私は病人に関しては、病気を治すことが救うことではなく、本人にどれだけ喜びを感じさせるかということを第一に考え、接しています。』
この言葉は、僕の指針となっている。
『治病にとって一番大切なことは、心を誤解による恐怖観念から解放すなわち離して、生活のあり方を改善し、身体の状態や心構えを全体的、且つ総合的に調整することによって、病気の自然的経過に協力することである。』
養生館で日々実践していることはまさにこれで、養生講座においても、心のとらわれを解き放ってみんなに元気になってもらう、心が軽くなることを念頭に置いて、漫談?を繰り広げている。
昨夜はいつも以上に盛り上がり爆笑に次ぐ爆笑?
弱っていたためにおのずと自力を手放すことになり、他力にゆだねることで、笑いの神さまが降臨してきたようだ。
そして僕もみなさんから喜びを感じさせてもらえたおかげで、回復に向かっている。
「病気は治るまでは治らない」
「死ぬまで死なせてもらえない」
「祈り」は「願望」ではない。
「安心立命」を思い出す引き金だ。
心を安らかにして身を天命にまかせ、どんなときにも動揺しないこと。
僕の生命を信頼し尊重する表明みたいなものだ。
養生の極意もどうやらそこにありそうだ。
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