「養生館」館長 小針 佑太
僕は当初治療家として身を立てる決意をして、
この世界に入りましたから、
いかにして体質を改善するかとか、
病気を治して健康になるかということを考えていました。
しかし、自分自身の病気に向き合う体験や、多くのゲストの話を伺い、
共に過ごす中で、必ずしも病気は悪いものではないということ、
言い換えれば、必要があって病気になるべくしてなり、
治る時には治ると考えるようになりました。
人には生まれて来た意味があり、それぞれの役割を持っており、
人生において、良いこともそうでないことも経験をし、
時に喜んだり悲しんだりすることで成長していく。
だから、いたずらに苦しみから目を背けたり、
魔法のような方法を求めたり、
苦しみは悪いことですぐさま取り除かなくてはならない、
と考えるものでもないということでもあります。
養生というと、
節制し禁欲をして健康や延命長寿を得るような向きもありますが、
健康を目的に生きるほどつまらない生き方はないと今では思っています。
それは自分自身が身をもって体験してきたからこその結論です。
健康を目的にすると、
生活すべてが健康のため、病気を治すためとなり、
次第に窮屈になってきます。
それはアタマによる知識での判断で自制することが多くなり、
のびのびとした生き方ができなくなるということもありますし、
自分さえよければという狭い考えに陥るという面もあります。
良いと言われる食材を選り好み、
無農薬じゃなきゃダメだ、有機じゃなきゃと、
潔癖、完璧主義は、独善、排他主義と紙一重で、
自分も他人も責め裁く、
きわめて不健康な精神状態になっていくのです。
自分がうまくできていなければ、情けないと自分を責め、
自分ができてくると優越感や選民思想が頭をもたげ、
他人のアラが目につき批判的になる。
こんなストレスフルな状態では、
早晩、健康状態は悪化していくでしょう。
僕は健康はせいぜい手段であって、
人生の目的は自分らしく生きること、
もう少し踏み込んで言えば、天命を全うすること、
だと思うのです。
病気になることも含めて天命と捉えて、
決して平穏無事ではない人生のあらゆる出来事を通して、
自分も他人も赦し愛する思い、言葉、行動をしていく。
自分の本質、生命、真我、魂、本心、
言い方はなんでもいいのですが、
それが喜ぶ生き方をしていくことが、
なによりの養生と思います。
そういう意味で、養生館での滞在が、
この生命を活かしきる、
過去でも未来でもなく、今に傾注して生きる、
その足がかりになればと思っています。
帰ってからも意識が高くいられると評判の
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