気づいてしまった…
昨夜みなさんと「安眠呼吸法」をしているとき、今まで僕がやっていたのは呼吸法ではなかったと…
衝撃的な事実が呼吸法をしながら静かに腹に落ちた。
呼吸法の目的は「酸素をたくさん取り込むこと」ではない。
いかに「吸わないようにするか」だった。
吐く時間と、止めている時間を長くすることで、吸う息を限りなく少なくしていく。
「断食」を生業にしていて、なんで今まで気づかなかったのだろう。
たくさん吸えば吸うほど、血中の酸素は飽和状態となって、むしろ酸素を吸収しようとする働きが弱まってくる。
それが生命のバランスを取ろうとする働きではなかったか。
断食をすれば、飢餓状態となった内臓は俄然吸収力が旺盛となる。
まるで乾いたスポンジのように。
呼吸においても全く同様ではないかと。
呼吸法によって、いわば酸欠状態を作り出す。
すると体は酸素を取り込もうと必死になる。
これはまさに高地トレーニングの発想で、少ない酸素でも全身にいきわたらせるべく、すべての細胞、臓器が活性化するのに似ている。
江戸時代の儒学者で、日本における養生思想の先駆者、佐藤一斎曰く
『物があり余っている。これを富という。富を欲しがる心は貧である。物が足りないのは、貧である。貧に満足している心は富である。貧富は心にあるものであって、物にあるものではない』
もうすでに満たされているから。
「断食」ならぬ「断息」なのだ。
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「腹六分で満足呼吸法」
1.鼻からでも口からでもいいので、息を吐いていく、吐き切るようにする。
2.無限小になるまで見届け(ここが重要、この時間を長くとることで呼吸に対する注意深さを養い、さらにここで主題となる酸素飽和度を下げることを狙う)、最後に吐く息がなくなったところで、さらに吐き続けるようにすると、息は止まっているが、詰めているのとは違う沈黙がある。
3.それを数秒間つくる。その時は多少苦しいが、その苦しさも味わいのうちと好意的に行う(ここでも酸素飽和度を下げる)最初はその時間を短めに切り上げてもよい。
4.吸う息は鼻から、自然な成り行きにまかせて腹六分くらい吸い込む。深く腹に飲み込むようにして、それをじっくり味わうようにする(好物を食べるときのような気持ちで)その時は息が止まっているが、喉元で詰めたような止め方にはならない。
心ゆくまで味わったら、吐く息に変える。
5.この繰り返し。
まさに断食とその後の回復食の再現のような呼吸法です。
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