やすらぎの里は、日本の「リトリート」です。
せわしない日常、止まないストレス。
気がつくと思い悩み、些細なことでイラ立ち、ぼんやりと途方に暮れている。
いつからこんな風になってしまったんだろう…
いつのまにか大人になって、社会の荒波にもまれるうちに、五感は閉ざされ、生きる喜びが失せていった。
心を巣くう虚しさを見て見ぬふりをして、外に刺激を求め、快楽におぼれ、それでなんとかごまかしている。
「リトリート」とは
環境を変えて、日常を離れ、一旦立ち止まることです。
そして、自分とじっくり向き合うことで、おのずと自分を慈しむ気持ちが芽生えてきます。
本来の自分を取り戻していくのです。
非日常の体験は、日常を鮮やかに蘇らせ、人生の質を上げていきます。
「場」の持つ力
伊豆高原には、日本有数の自然環境があります。
山と海が近接する地形、癒しと浄化のエネルギーに抱かれて、おのずと呼吸が深まっていきます。
建物に宿る気
一歩踏み入れただけで体がゆるんでいく。
親戚の家にでも遊びに来たような感覚があります。
ホッと一息つける普段着の心地良さです。
集う人が醸し出す気
人との出会いは時として人生を変える力を秘めています。
様々な境遇の人々が、ここでは会社も肩書も関係なく、ひとりの人間として語らい、寝食をともにします。
滞在も後半に差し掛かると絆が深まり、人の温かさに触れることで、自分の中の愛情もよみがえってくることでしょう。
「体」ていねいに生活する
生命活動の土台、基礎となる 食べること 動くこと 休むこと。
時間に追われることなく、ていねいに行っていきます。
体が整い、五感が研ぎ澄まされていくことで、今ここに「生きている実感」を得ることができます。
「心」 本質的な気づき
体感として得られた「生きている実感」は「生かされている実感」と表裏であって、通り過ぎていく日常で忘れていた周囲の恩恵に気づき、すべてのことに感
謝の気持ちがわいてくるでしょう。
「身心一如」心と体はひとつです。
情報過多、知識偏重の現代人にとって、生身の体で得た実感は強烈なインパクトとなるでしょう。
それは今まで何をしても変えられなかった生活習慣、ひいては生き方を根底から覆す力を持っています。
「リトリート」は気休めではなく、心に効いていくところにその真価があるのです。
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