●ネットワーク地球村の通信より
「ネットワーク地球村」はご存知の方も多いと思います。
日本最大の環境と平和活動のNPOで、やすらぎの里もささやかながら支援しています。
地球村から毎月通信が届くのですが、今月の通信に掲載されていた代表の高木さんの巻頭言に心を打たれました。
ぜひみなさんにも紹介したいので、少し長くなりますが、全文を紹介させてもらいます。
「逃げない生き方」 ネットワーク地球村 代表 高木 義之
あなたはいま何から逃げていませんか。
自然界なら、食べ物は自分でとらなければならない。
子供は自分が育てなければならない。
水は自分で汲みに行かなければならない。
危険から身を守らなければならない。
絶対に逃げられないし、投げ出せない。
ところが私たちの社会(先進国の社会)ではすべて選択が可能です。
「鹿を追うか、カゼルを追うか」の選択ではなく、「してもいい、しなくてもいい」のだ。
逃げても、投げ出しても何とかなる。
しかし、「何とかなる」と思っていること自体、実は間違っている。
その結果が現実に、社会を、世界を、地球を破局に導いているのだ。
居心地のよい現状(掘りごたつ)から出るのはいや!
寒いのはいや!暑いのはいや!動くのはいや!歩くのはいや!
洗濯はいや!掃除はいや!料理はいや!荷物を持つのはいや!
面倒なのはいや!勉強はいや!働くのはいや!
苦労はいや!しんどいのはいや!何をするのもいや!
逃げ出したい!投げ出したい!何とかなるだろう・・・。
この社会では、お金さえあれば、何からでも逃げられる。
お金がなくてもなんとかなる。
救済の仕組みもある。
「世の中が悪い、政治が悪い、社会が悪い、あいつが悪い、周りが悪い、みんなが悪い、私は悪くない、私は被害者だ」と不平、不満を並べて、逃げたり、投げ出したりしています。
自然界では絶対できないことが、この社会ではできます。
自然界では絶対許されないことが、この社会では何でも許されます。
自然界や貧しい社会では、逃げることは「死」であり、
自分が死ねば、家族も子供も「死」が避けられないのだ。
昔は「死」は身近にあったが、現代の社会では「死」はごまかされ、隠されている。
「死」は身近に感じられない。
「死」や「死の恐怖」が希薄になり、「まさか死ぬことはないだろう」とタカをくくっている。
タカをくくって、甘えている。
しかし、あらためて生きる意味を自問しよう。
DNAは「死」を禁じている。
DNAは「生きること」を命じている。
だから自然界の生き物は絶対に逃げない、絶対にあきらめない。
最後の最後まで生き抜く努力をする。
生きる目的は、まず「生きること」、そして「行き続けること」なのだ。
そして、「生命を次世代につないでいくこと」なのだ。
自分が生きるだけではなく、その生命を次世代にバトンタッチし、
「永遠に行き続ける」という重要な使命があるのだ。
すべての生き物は、生きる、行き続けるという使命を忘れてはいけない。
しかし、私たちはどうだろう。
生きることが切実な目的になっていない。
それが、社会全体を無気力にしている。
社会全体が、人類全体が死にかけている。
だから、だからこそ、目を覚まそう。
生きる意味を思い出そう。
生きる喜びを取り戻そう。
自分の生き方でしか、それを伝えることはできない。
それは難しいことです。
だからこそ、協力し、助け合いながら、手をつなぎながら、みんなでやっていきたいのです。
逃げない生き方、投げ出さない生き方、それが「地球村」なのです。
「美しい地球を実現したい!」
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http://www.chikyumura.org/
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