やすらぎへの道・1「何かもっと ~自然食との出会い」

「何かもっと」

私は岩手県の三陸海岸沿いの、
小さな村で生まれました。

実家は小さな食堂を営んでおり、
それと合わせて、
自分たちで食べるための
米や野菜を作っていました。

小さい頃の私は、
そんな田舎での生活を
決して喜んでいたわけではなかった。

むしろ、できるだけ早く都会に出て、
都会での生活に憧れを抱いていました。

高校を卒業するとすぐに
東京のスーパーに就職し、
憧れだった都会の生活を始めた。

もともと食べ物に興味があったので、
魚や果物、野菜を扱う仕事は楽しかった。

そんな仕事をしているうちに、
食べ物の素材を選ぶ
プロとしての目が養われた。

食べ物を扱う仕事は、
それなりに楽しいものではあったが、
しだいに、もっと何か違うことがやりたくなった。
とはいっても特にやりたいことがはっきりしない。

なにかもっと、
自分が打ち込める何かがあるのではないか。

もっといろいろなところを見てみたい。

そうして、自然に興味が海外へと向かい始めた。


「オーストラリアでの暮らし」

半年くらいの間に日本脱出の準備を進めて、
23歳の春に5年続けた仕事を辞め、
妻の文枝と一緒にオーストラリアでの
海外生活を始めることになった。

今の20代では珍しいかもしれないが、
私の場合その時が海外どころか
飛行機に乗るのでさえも初めての体験で、
全てが初体験、
ドキドキ、ワクワクの連続だった。

始めの一ヶ月間は、
イタリア人夫婦の家庭にホームステイしながら、
現地の英語学校に通って、
というおきまりのコースで、
オーストラリアの生活になじんでいった。

英語学校が終わる頃、
シドニーにある日本食レストランの
アルバイトを見つけて働き始めた。

以前の仕事で食べ物の知識があったのと、
料理が好きだったこともあり、
板前さんに気に入られて、
寿司の握り方も教えてもらえた。

一緒に働いている仲間も
日本を飛び出してきただけあって、
個性的な人たちで、
それを仕切っている板長さんは
それに輪をかけたような個性の持ち主だった。

毎日仕事が終わると、
残り物をつまみに飲んで、
語って、騒いで暮れていった。

オーストラリアの旅

そんな仕事を半年くらい続けて、
バイト代がたまったところで、
ワーゲンの古いキャンピングカーを買い、
旅に出ることにした。

グレートバリアリーフの島で
シュノーケリングをしたり、
砂漠の真ん中でキャンプをしたり、
ジャングルの中の温泉に
入ったりと毎日があっという間にすぎていった。

そんな旅を3ヶ月位続けて、
仲間の住むシドニーに帰ってきた。

しばらくの間、旅の疲れと、
次の目標が定まらなくて、少し無気力になっており、
昼間で寝て、それから海を眺めながら
ビールを飲んで、夜になるとみんなと話して、
夜遅く寝るというような毎日を送っていた。


「日本へ戻る」

そんなとき、実家から、
友達のアパートに電話がかかってきた。

5歳年下の弟が家で暴れたり、引きこもったりで
親だけで面倒みるのは大変そうだから、
すぐに帰ってきてくれ、という祖父からの電話だった。

これは普通ではないなと思い、
文枝はオーストラリアに残したまま、
取りあえず自分だけすぐに帰国することにした。 

久しぶりの日本では、
重苦しい現実が待ちかまえていた。

弟は中学のときにいじめにあい、
高校に入っても同じグループにいじめられて、
高2頃から学校を休むようになっていたようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久しぶりにあった弟は暗くうつむいて、
いかにも病的というような姿だった。

それからしばらく家族で何とかしようとしたが、
あまり本人の状態に変化は見られず、
結局、精神科に入院することになった。

弟が入院した後、これからの弟のことを考え、
実家の仕事を手伝うのが無難だろうということで、
実家から少し離れた割烹料理屋で
住み込みで働くことになった。

そんな仕事をしているうちに、
弟が元気になって退院してきた。

まだ、家の方ではうまくやる自信がない
ということだったので、
2人でアパートを借りて、
弟も料理の修行をすることになった。

しかし2~3ヶ月すると
弟は仕事に行けないといい始めた。
仕事の時間になっても
布団から出ない弟を無理矢理起こして
仕事に行かせていた。

しかし、またすぐに仕事に行かなくなり、
結局辞めることになった。


「弟の死」

家に帰ってからの弟は、
ますます調子が悪くなり、
部屋に引きこもり、
ほとんど話をしなくなっていった。

肌寒い小雨の振る秋の夕方、
夕食時に急に弟が暴れ出した。

いつになくひどい暴れようで、
テーブルにイスを投げつけ、
外に出て隣の家にものを投げつけた。

父とようやく押さえつけ、家に連れ戻すと、
2階の自分の部屋に駆け上がっていった。

部屋ではラジカセが壊れるくらいの爆音で
音楽をかけていた。

かなり興奮しているので、
しばらくそっとして置いた方がいいだろうと思い、
部屋にはいかず1階の食堂で、
家族で様子を伺っていた。

しばらくしてそろそろ興奮もおさまった頃と思い、
父が部屋に様子を見に行ったらだれもいない。

しまったと思い、身体中を嫌な予感が駆けめぐった。

すぐに家族で手分けして
近所を探し回ったがどこにもいない。

最後に家から少し離れた
動物を飼っている小屋に行ってみた。

真夜中なので
懐中電灯で辺りを照らしながらいくと、
小屋の戸が開いたままだった。

そこを懐中電灯で照らすと
何かがぶら下がっていた。

はっとして、駆け寄り夢中で抱き上げ、床に下ろして、
頬をたたいて名前を呼んだが、何の反応もない。

急いで心臓マッサージや人工呼吸をしたが無駄だった。

父が「もうだめだよ、冷たくなっている」といい、
その時始めて、
弟が死んだのかもしれないということを悟った。

それでも、まだ助かるような気がして、
急いで背中に負ぶって家に向かった。

背中に負ぶった弟が途中でぐにゃりと倒れ、
頭が地面に着き、後ろに転びそうになった。

死んだら、
背中に負ぶわれることさえ出来ないんだと思ったら、
急に悔し涙が出てきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

病院に着くとすぐに死亡が確認され、
身体が清められた。

その後は警察の現場検証や、
通夜の準備であっという間に朝になった。

首に包帯が巻かれている以外は、
昨日と何も変わらない弟がそこにいた。

目をつむっている顔は
むしろこの頃の普段の顔を思えば、
穏やかな顔だった。 

まるで、ほっとしているような、
そんな顔にさえ見えた。

そんな顔を眺めていると急に死というものが
実感として迫ってきて、涙があふれ出てきた。

なんでそんなに死に急いだ、
せめて生きてさえいてくれれば、
なにか方法はあったのではないか。

もうこいつと話したり、喧嘩したり、
酒を飲むこともできない。

いろんなことが頭の中を駆けめぐった。

火葬の日、弟を入れた柩が、
分厚い鉄の扉の中に入れられた。

母の悲鳴のような鳴き声が辺りに響いた。

扉が閉められ、
しばらくすると、煙突から煙が出始め、
弟が煙になって、
秋晴れの空高く昇っていった。


「再び海外へ」

葬式の後、しばらく実家で特に何もせず
毎日をすごしていた。

そんなある日、
父が「お前またオーストラリアに行っていきたらどうだ、
このままここにいてもみんなで傷をなめあっているようで、
かえって踏ん切りがつかないから。

お前たちが向こうに行って、
自分の好きなことをやって楽しんでいると思うだけで、
父さんや母さんは新しい希望が湧いてきそうな気がするよ」
と言ってくれた。

このままここで暮らしていくのも憂鬱だけど、
今自分がいなくなったら両親が寂しがるだろうと
考えると踏ん切りがつかず、
ただ悶々としていた時だったので、
その言葉で決心がついた。

オーストラリアに行ったから何かが変わるとは
思っていなかったが、なにか始めることで、
弟の死にけりをつけたかった。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

再び日本を離れることになった。

2度目のオーストラリアは
もう自分の庭のようなものだった。

住むところも仕事もすぐに決まった。
ドイツ人の借りているアパートに間借り(シェアー)して、
以前働いていたレストランで、
また働かせてもらうことになった。

2度目になると勝手を知っている分だけ、
新鮮な感動も少なく、
半年働いてビザが切れたところで、
オーストラリアを出ることにした。

その頃はオーストラリアよりも
東南アジアに興味が移っていた。

オーストラリアを出て、
まず始めに行ったのがバリ島だった。

バリ島をバイクで旅

バリの空港を出て、乗合タクシーに乗り、
町中に向かう途中で見えるものは
まるで日本の戦後を思わせるような光景だった。

久しぶりに胸の高鳴りを覚え、
なんだか急にワクワクしてきた。

クタビーチのそばにあるロスメン(民宿)に泊まりながら、
ぶらぶらと散歩するのが日課のような毎日だった。

バリ島で2週間ほどすごしシンガポールに飛び、
そこから陸路でマレーシア、タイへと向かった。

タイのバンコクにしばらく滞在し、
以前からのあこがれだった
インドへ行くことにした。

バンコクから、
今にも落ちそうなほど揺れる
インディアンエアーに乗り、
なんとか無事にカルカッタに到着した。

インドの旅

インドはやはりすごかった。

空港に着くなり闇の両替屋や
物売りが群がってきた。

町は人であふれかえり、
道端には土の塊になっているような
老人がうずくまっている。

その迫力にうろたえていると、
物乞いに「あなたにはお金がある、
お金のないわれわれに与えるのは自然の摂理だ」
と言われて、たじたじになったこともあった。

インドには日本人の旅行者も結構いて、
なかには半年、1年と滞在している人も珍しくない。

長くいる人は個性的な人が多く、
そんな人たちとの出会いも
インドの魅力のひとつだった。

同じ宿になった人たちと毎晩のように
夜遅くまでいろんな話をしていた。

インド人の友達

そんなことを繰り返しているうちに、
こんな風にいろいろな人が集まり、
それぞれの思いを話せる場所。

そして、そこがきっかけで、
新しい人生を歩みだせるような、
そんな場所が日本にもあったらいいなあ
と思うようになった。

もともと旅が好きで日本中を単車で駆け巡っていたし、
調理の経験もあったので、ユースホステルかペンション
のような宿を自分でやってみたいと思うようになった。

インドの次はパキスタンに向かい、
ヒマラヤの峠を越えて、シルクロードに向かう予定で、
パキスタンのビザを取得したのだが、
国境付近で民族紛争があり、
峠が閉鎖されていることがわかった。

厳しいヒマラヤ越えの旅を前に、
上がっていたテンションがすっかり冷めてしまい、
旅の疲れを急に感じ始めた。

特に、一緒に旅をしていた文枝の気力や体力が、
そろそろ限界にきているようで、
旅もこの辺で終わりにして
日本に帰ろうということになった。


「自然食との出会い」

帰国してしばらくは
何もする気が起こらなかった。

自分はこれから何をすればいいのか、
何ができるのか、
そんなことばかり考えながら
毎日をもんもんと過ごしていた。

しばらくして、もうじっとしていられなくなり、
行く当てもないまま文枝と二人で
旅に出ることにした。

旅ももうそろそろ終わりになる頃、
ペンションの雑誌を本屋で立ち読みしていたら
信州の安曇野にある
ペンションのオーナーの記事が掲載されていた。

もう旅も終わろうとしており、
何か一つでも手掛かりを見つけて帰りたいと
焦っていたこともあり、
すぐにそのペンションに電話をした。

「何でもいいからお手伝をさせてください。
給料もいりません、寝るのは車でもいいです」

「とにかくなんでもやりますから」
と必死にお願いをしたら、
「それじゃあ1ヶ月後に来てください」と言ってくれた。

とりあえず次にやることが決まり新しい目標が
見つかったので、久しぶりにやる気満々で家に向かった。

お手伝いをすることになったのは
信州の安曇野にある「シャロム」というペンションだった。

シャロム

自然食に詳しい人なら名前ぐらいは知っている
その世界では有名なペンションでした。

わたしはここで始めて自然食と出会うことになる。

ちょうどその頃のわたしは料理屋で作っている料理に
少し疑問を抱いていたのだった。

日本の割烹料理屋でも仕事をしていたのだが、
その料理を本当に美味しいと思えなかったのだ。

もっと素材の滋味あふれるようなそんな料理を
模索していたころだった。

そんな時にそのペンションで自然食を食べて
「この味だ、自分が食べたかったのは」と思ったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ペンションの仕事は自分に向いていると思った。

なによりも自然の中で暮らしながら
たくさんの人たちと出会うことができ、
人のお世話をして喜んでもらえる
というのは大きな魅力だった。

しかしペンションを自分の生涯の仕事にするか
というともう一つ踏み切れないでいたのだ。 

もっとなにか、
もっと自分が納得できるものはないかと
どん欲に自然食から農業、哲学の本を読みあさっていた。

たまたま本屋でそのころ活動が始まった
ホリスティック医学の本を見つけた。

ホリスティック医学とは西洋医学だけではなく
食事や心理、東洋医学、ヨーガや気功など
さまざまな方法を組み合わせておこない、
人を全体的に見ていこうという医学である。

これを見て、
がぜん東洋医学に興味をもち始めたのだ。

ペンションでの暮らしで
自然食やヨーガはすでに実践していたので、
東洋医学を勉強し治療する技術を身につけ
それと宿泊施設を合わせれば
面白い施設ができるぞと思った。

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