●目次
○たかが便秘されど便秘
○フォルスの台所から「冬の献立、フォルスのレシピより(大根のポタージュ、南瓜の
プリン)」
○情報スクランブル「書籍紹介」働くあなたの・安心リラックス「おすすめの調理器具」
ナショナル電気圧力鍋、ホームベーカリー
○八ヶ岳までの道のり
○寄せ書きから
「たかが便秘されど便秘」
「たまらない女」という本にフォルスが紹介されてから、日本全国からえりすぐられた「たまっている女」の方々がたくさんお見えになります。
フォルスでは断食療法を取り入れている関係で、以前から便秘の方は多い方だと思っていたのですが、その本が出てからは、ここがまるで「便秘改善センターフォルス」だったかな?と思えるほど便秘の方が増えました。
そんな便秘で悩んでいる方の話を聞いていると、中には相当深刻に悩んでいる方もいます。
悩みが悩みだけに誰にでも相談できるわけでもないし、いけないと思ってはいるものの下剤に頼り、どんどん量がが増えてしまいます。
中には「コーラック」を毎日100錠飲んでしまうという方もいました。
「便秘と体質」
西洋医学では便秘といえばひとくくりにしていますが、東洋医学では便秘もその人の体質によっていくつかのタイプに分類して考えます。
もちろんそれぞれのタイプによって治療法や食事の指導法が異なってくるので、自分の便秘がどのタイプなのかを知るのはとても大切なことです。
便秘は大きく次のタイプに分類されます。
1,乾燥タイプ
便がウサギの糞のようにコロコロしている。
腸が乾燥して便からの水分吸収が過剰になっている。
身体が乾燥ぎみの人に多い。
黒ゴマ、プルーン、クコの実などがよい。
漢方薬では麻子仁丸、潤腸湯。
2,熱実タイプ
便が大きくて堅い。
排便するときは大変だが出すとすっきりする。
腸に熱がこもっていて便が堅くなっている。
暑がりで、体力がある人に多い。
青汁、アロエ、バナナがよい。水を多めに飲むのもいい。
3,虚弱タイプ
始めは堅いが、途中から柔らかくなってしまう。
胃腸の働きが弱り、蠕動運動がスムーズに行われていない。
元気や体力のない人に多い。
山芋、人参がよい。
よく噛んで食べるのが大切。
漢方では大黄甘草湯がよい。
4,気滞タイプ
お腹が張ってすぐに苦しくなる。
便が出てもあまりすっきりした感じがしない。
お腹にガスが溜まっているためにお腹がパンパンになっている。
ストレスが多い人に多い。
ストレスをため込まないで、運動や趣味で発散させる。
漢方では大柴胡湯、大承気湯がよい。
「便秘の解消法」
便秘を解消するためには、上記のタイプ別の解消の他に全員に共通する注意点があります。
まずなんといっても繊維の多いものを食べるというのが一番重要なことです。
便の量は繊維の量に比例しますので、繊維分の多い食品を食べなければ便の量が少なくなり、便意を感じにくくなります。
繊維の量を増やすために一番効果的な方法は主食であるご飯を玄米や五分づき米に変えることです。
日本人がもっとも食べている食品がお米ですから、そのお米を繊維分が多いものに変えると、トータルで摂取する繊維の量がだいぶ増えるのです。
しかし、近ごろではお米自体を食べない人も多いので、そのような人はまず、お米を1日2~3杯は食べるように心がけるといいでしょう。
次に大切なのはストレスを減らすことです。
ストレスを受けると交感神経が優位になり胃腸に分布している副交感神経の働きが抑えられ、腸の蠕動運動が低下し便秘になるのです。
ストレスというと嫌な上司がいるとか、仕事がきついなど嫌なことだけが問題だと考えがちです。しかし、どんなことでもそのことだけに捕らわれているとストレスになってしまいます。
勉強、仕事、家族、将来のことなど、そのことだけが気になって頭から離れないようになったら、意識的に頭を切り替えなければ、自分でも知らないうちに大きなストレスになってしまいます。
そんなときは、いつもと違う場所で、違うことをするのが効果的です。
お勧めなのは自然の中でぼーとしたりのんびり散歩することです。
自然の中では頭も身体も自然のリズムになるので、普段のとらわれから解放されやすいのです。
3番目に大切なのが運動です。
身体を適度に動かしていないと新陳代謝が低下し、腸の働きも悪くなります。
ただし、絶対にしなければいけないとあまり、自分を追い詰めるとそれがストレスになり、せっかく運動しても残念ながら逆効果になる場合もあります。
あくまでも楽しみながら気持ち良く身体を動かせるという範囲でできたらいいですね。
最後に便意を感じたら、何はさておきまずトイレに行くという習慣を身に付けましょう。
現在下剤を飲まなければまったく出ないとい人は、まず自分に合った漢方を飲んで便意を取り戻します。
合わせて食事に気をつけ、ストレスを上手に発散していけばそのうち薬を飲まなくても出るようになります。
あきらめないで、正しい方法で対処すればあたなも「たまらない女」になれるのです。
【フォルスの台所から】
「冬の献立」
・大根のポタージュ
・地物野菜の温かいサラダ
・ヒヨコ豆入り玄米ご飯
・そば粉のクレープ包み
・ロール白菜
・かぼちゃのプリン
・タンポポコーヒー
八ケ岳に雪が積もるようになると、小淵沢の畑は長い冬ごもり、春になるまでお休みです。
こうなると献立は根菜類が主役になってきます。
食養ではよく使う食材ですが、ありふれた料理になりがちです。
よくある食材はせめて料理法に変化をつけてお食事を楽しんでもらえるように工夫しています。
文枝
「フォルスのレシピより」
○大根のポタージュ
大根というと和風というイメージがあるので、ポタージュにすると新鮮な感じがあります。
大根の甘みと口当たりの良さが引き立つ一品です。
「材料」
大根15cm位、玉ねぎ1/2個、豆乳3カップ、出し汁2カップ、小麦粉大さじ3、塩コショウ少々
「作り方」
1、大根と玉ねぎを薄切りにする
2、油を引いた鍋で玉ねぎを炒め、小麦粉を加えて 1分さらに炒め、出し汁と大根を加え15分弱火 で煮て冷ます。
3、2をミキサーにかけドロドロにして、鍋に入れ 豆乳を加え泡立て器でよくかき混ぜながら、塩
コショウで味をつける。
4、器に盛って大根の葉のみじん切りを上に飾る
※泡立て器でよくかき混ぜると、ふわっとした口当たりのいいポタージュになります。
○かぼちゃのプリン
子供の大好物のデザートです。要領をつかめばあっという間にでき上がります。
「材料」8個分
南瓜(つぶして裏ごしした状態で)200g
豆乳180cc、水70cc、はちみつ大さじ2
コーンスターチ大さじ1、卵1個、塩ひとつまみ
カラメルソース 砂糖60g、水大さじ2
「作り方」
1、南瓜を15分蒸して裏ごしする
2、1に全ての材料を加え良く混ぜ合わせる
3、カラメルソースの材料を鍋に入れ中火にかけ、砂糖をよく溶かしながらほどよい濃度にする
4、バターを塗った器にカラメルソースを入れ、2を流し込み15分蒸す。
【情報スクランブル】
「書籍紹介」
○働くあなたの・安心リラックス
ポール・ウィルソン著 河出書房新社刊
著者のポール・ウィルソン氏はリラックスのためのシンクタンクを運営しています。
この本はその中から簡単に実践できるリラックス方が原因別に紹介されています。
日頃ストレスを感じているが、どうしようもないとあきらめているあなた、あきらめる前にこの本を読んでみませんか。
「おすすめの調理器具」
○ナショナル電気圧力鍋
玄米は身体に良くて美味しいので、みんなに勧めたいものですが、圧力鍋で炊かないと美味しくできないのが難点です。
普通の圧力鍋ですと慣れない方はちょっと怖く感じたり、火加減で炊き上がりにムラができたりして、結局あまり使わない方も多いようです。
その点、電気圧力鍋ですと、最初の水の分量さえ間違えなければ、誰が炊いても同じ炊き上がりになります。
タイマーもついていますので、前の晩にセットしておけば朝から美味しい玄米ご飯が手軽に食べられます。
また玄米以外にも豆を炊いたり魚を骨まで柔らかく煮たりするのにも便利です。
電気屋さんの店頭に並んでいることはほとんどないのですが、ナショナルの炊飯器のカタログには載っていますので注文すれば取り寄せてくれます。
これから玄米を食べ始めてみようと考えている方には是非おすすめしたい品です。
○ホームベーカリー
お手軽に身体にいいパンを作るならこれに限ります。
どこのメーカーのものでも基本的なところは同じです。
何と言っても材料をセットするだけの手軽さです。
慣れれば2~3分で準備完了、後は4時間後の焼き上がりを待つだけです。
もちろんタイマーがついていますので、夜セットしておけば、朝は香ばしいパンの焼けるにおいで目を覚さます、なんてことも可能です。
作るときは全粒粉(完全粉)を使いましょう。
パン用にグルテンを強化したものが自然食品店で手に入りますので、それで作れば失敗が少なく美味しいパンができます。
できればパン種もイーストではなく、天然酵母で作ってみたいものです。
天然酵母も自然食品店に行くと手に入ります。
化学合成された市販のイーストよりも安全で味わい深いパンになります。
また、バターや砂糖の量も少なくすることができるので、ダイエットや健康のためにもお勧めです。
本当はできればパンよりもご飯を食べることを勧めたいのですが、どうしてもパンが好きでやめられないという方は、せめて自分で作った、いいものにしたいものです。
【八ヶ岳までの道のり】
毎日治療をしていて、ゲストの方によく「先生はなぜこの仕事をするようになったのですか」と聞かれることがよくあります。
これまでいろんなことをしてきましたが、今考えると全てが今していることにつながっていると感じます。
私がどのような経緯でフォルスを開設することになったのか、そんな体験談を前号に引き続き掲載いたします。
久しぶりの日本では、重苦しい現実が待ちかまえていた。
弟は中学のときにいじめにあい、高校に入っても同じグループにいじめられて、高2頃から学校を休むようになっていたようだ。
18歳で東京に出て、その後すぐにオーストラリアに旅立ち、6年位ほとんど家に帰ったことがない様な生活を続けていたので、弟とも6年くらいまともにあったことがなかった。
自分の記憶の中では小学生の弟のイメージしかなかった。
それだけ、ほとんど家のことなど考えることなく、自分のやりたいことばかりやっていたのかもしれない。
久しぶりにあった弟は暗くうつむいて、いかにも病的というような姿だった。
弟がそんな風になっていたり、親がその対応に神経をすり減らしていることも全く知らずに、オーストラリアで遊びほうけていたのだった。
そのころの弟は対人恐怖症の様な状態になっていて、特に同世代の人間が苦手らしく、車で連れ出しても、高校生が町を歩いているとシートを倒して隠れるようなそぶりをしていた。
それからしばらく家族で何とかしようとしたが、あまり本人の状態に変化は見られず、結局、精神科に入院することになった。
最初に入院した病院はひどいところだった。
体育館のような大部屋にマットレスだけのベットで、ほとんど避難所生活という状態のところだった。
薬もかなり強いものらしく、入院して何日かすると視点が定まらなくなり、一日中ボーとして、そのうち箸を持つ手がふるえて自分で食事をとるのも難しくなってきた。
入院している患者はほとんどボケ老人の人たちばかりで、先生に状態を聞いても、弟さんは精神分裂病だから治るのは難しいですねと悲観的な説明しかしてくれなかった。
退院させようと先生に相談してもこの状態では無理ですとの一点張り、もうこうなったら、何とか連れ出して強引に退院させるしなないなと考えていた。
そんなときに、弟が病院から5Km位離れた親戚の家に真冬の雪のちらつく中、パジャマのまま裸足で、逃げ出してきたと電話があった。
詳しい状況を知らずびっくりしている親戚の家に飛んでいった。
弟の話を聞いてみると「あそこにいたら自分は本当にダメになりそうだと思って、朦朧とする意識の中でようやく逃げ出してきた」と言う。
うつろな目をしていたので、もうほとんど思考能力もないのかと思っていたが、それなりに考えていたようだ。
ちょっと強引だったが、ちょうどいい機会だったので、そのまま弟が帰りたくないと言っているということにして退院させることにした。
ただ、家にいてもあまりいい状態ではなかったので、少し遠くのあまり薬は使わないで生活習慣を規則正しくして治療するという病院に入院させることにした。
弟は少しいやがったが、もうその頃になるとものを投げたり、暴れたりして、家族では面倒見切れなくなっていたので、病院にお願いすることにした。
弟が入院した後、これからの弟のことを考え、実家の仕事を手伝うのが無難だろうということで、実家から少し離れた割烹料理屋で住み込みで働くことになった。
オーストラリアの店と違って、日本での仕事は上下関係や技術の習得はとても厳しいものだった。日本で板前の経験のない私は、自分よりだいぶ年下の先輩に使われる立場になり、主な仕事は鍋を洗うことと、野菜を刻んだり、先輩の指示通りに盛りつけをすることだった。
そんな仕事をしているうちに、弟が元気になって退院してきた。
まだ、家の方ではうまくやる自信がないということだったので、2人でアパートを借りて、弟も料理の修行をすることになった。
何年か修行して、2人で父親がやっている食堂を大きくしていく計画を立てていた。
しかし2~3ヶ月すると弟は仕事に行けないといい始めた。
仕事の時間になっても布団から出ない弟を無理矢理起こして仕事に行かせていた。
しかし、またすぐに仕事に行かなくなり、結局辞めることになった。
実家に帰っても親だけでは難しいだろうということで、私も仕事を辞めてアパートを引き払い、2人で実家に帰ることにした。
家に帰ってからの弟は、ますます調子が悪くなり、部屋に引きこもり、ほとんど話をしなくなっていった。
肌寒い小雨の振る秋の夕方、夕食時に急に弟が暴れ出した。
いつになくひどい暴れようで、テーブルにイスを投げつけ、外に出て隣の家にものを投げつけた。父とようやく押さえつけ、家に連れ戻すと、2階の自分の部屋に駆け上がっていった。
部屋ではラジカセが壊れるくらいの爆音で音楽をかけていた。かなり興奮しているので、しばらくそっとして置いた方がいいだろうと思い、部屋にはいかず1階の食堂で、家族で様子を伺っていた。
何時間か経ち、弟の足音らしき音がしたが、トイレにいったようなので、あまりかまいすぎてまた興奮するといけないと思い声もかけないでいた。
しばらくしてそろそろ興奮もおさまった頃と思い、父が部屋に様子を見に行ったらだれもいない。
しまったと思った。
身体中を嫌な予感が駆けめぐった。
すぐに家族で手分けして近所を探し回ったがどこにもいない。
最後に家から少し離れた動物を飼っている小屋に行ってみた。
真夜中なので懐中電灯で辺りを照らしながらいくと、小屋の戸が開いたままだった。
そこを懐中電灯で照らすと何かがぶら下がっていた。
はっとして、駆け寄り夢中で抱き上げて、床に下ろして、頬をたたいて名前を呼んだが、何の反応もない、急いで心臓マッサージや人工呼吸をしたが無駄だった。
父が「もうだめだよ、冷たくなっている」といい、その時始めて、弟が死んだのかもしれないということを悟った。
それでも、まだ助かるような気がして、急いで背中に負ぶって家に向かった。
背中に負ぶった弟が途中でぐにゃりと倒れ、頭が地面に着き、後ろに転びそうになった。
死んだら背中に負ぶわれることさえ出来ないんだと思ったら、急に悔し涙が出てきた。
近くの消防に車で行き事情を話し、救急車で病院に連れていってもらった。
病院に着くとすぐに死亡が確認され、身体が清められた。
その後は警察の現場検証や、通夜の準備であっという間に朝になった。
首に包帯が巻かれている以外は、昨日と何も変わらない弟がそこにいた。
目をつむっている顔はむしろこの頃の普段の顔を思えば、穏やかな顔だった。
まるで、ほっとしているような、そんな顔にさえ見えた。
そんな顔を眺めていると急に死というものが実感として迫ってきて、涙があふれ出てきた。
なんでそんなに死に急いだ、せめて生きてさえいてくれれば、なにか方法はあったのではないか。小さい頃から、5歳年上の私が、色々なところで、プレッシャーをかけていたのかもしれない。
もうこいつと話したり、喧嘩したり、酒を飲むこともできない。
いろんなことが頭の中を駆けめぐった。
火葬の日、弟を入れた柩が、分厚い鉄の扉の中に入れられた。
母の悲鳴のような鳴き声が辺りに響いた。
扉が閉められ、しばらくすると、煙突から煙が出始め、弟が煙になって、秋晴れの空高く昇っていった。
葬式の後、しばらく実家で特に何もせず毎日をすごしていた。
そんなある日、父が「お前またオーストラリアに行っていきたらどうだ、このままここにいてもみんなで傷をなめあっているようで、かえって踏ん切りがつかないから。お前たちが向こうに行って、自分の好きなことをやって楽しんでいると思うだけで、父さんや母さんは新しい希望が湧いてきそうな気がするよ」と言ってくれた。
このままここで暮らしていくのも憂鬱だけど、今自分がいなくなったら両親が寂しがるだろうと考えると踏ん切りがつかず、ただ悶々としていた時だったので、その言葉で決心がついた。
オーストラリアに行ったから何かが変わるとは思っていなかったが、なにか始めることで、弟の死にけりをつけたかった。
以下次号に続く
【寄せ書きから】
フォルスでは来ていただいた方が、お帰りの際に寄せ書きを書いてもらっております。
ほんの気まぐれで始めたことだったのですが、今になってみると一番の宝物になっています。
こちらにいらしたときには是非開いてみて下さい。
前回は食事のコースでしたが今回は断食に挑戦しました。
体脂肪が6%も減りました。
前回はひとりで黙々と歩いたせいかこんなにいい結果ではなかったので大満足です。
きっと一週間一緒に楽しく過ごせたみんなの力も大きかったと思います。
日頃のストレスがつまりにつまっていたようで、ほんとリラックスできたと実感しました。
先生、スタッフの皆さま、一緒に頑張ったみんな、本当にありがとうございました。
30歳 女性
一週間だったけど毎日楽しく過ごせてあっという間でした。
空気も水もきれいな自然の中で、ゆったり、のんびりしてました。
ご飯ってこんなに美味しいものだったんだって、味わって食べました。
一人暮らしの私にとってみんなと食べれる幸せを噛みしめていました。
こんな機会人生で何時もない感じ。
優しい先生、安らぎを与えてくれた奥様とスタッフの方々。
一日一日、夜になっていくのが惜しいような気がしました。
今度は是非母と一緒に来たいです。
お母さんここで私は生きるヒントを持てたところだよって。
本当にお世話になりました。 38歳 女性
こんなにのんびりとリラックスした時を持てたのは何年ぶりか・・・。
一品一品の美味しいお食事と、毎晩の温泉も至福の一時でした。
身体も軽くなりましたが、精神的にくつろぐことができ元気になれたように思います。
これを機会に日々の生活をできる範囲で見直していこうと思っています。
とにかくぐっすり眠ってのんびり過ごせた一週間でした。
本当にお世話になりました。 39歳 女性
のんびりしました。ホントにのんびりしていました。
日頃、身体からトゲが出ているくらいにイライラする毎日を過ごしていましたが、ここに来てからはそのトゲも抜け落ちました。
またトゲが出てきたらお邪魔したいと思います。 36歳 男性
「編集後記」
今年もたくさんの有難いご縁をいただきました。
自分の好きなことをして、みなさんに喜んでもらえるのですから、こんな幸せなことはありません。
一年を振り返えってみると、本当に周りの人達に支えられてやってきたとしみじみ感じます。
来年がみなさまにとってよい年でありますように八ケ岳の麓からお祈りしております。
みなさまどうぞよいお年をお迎え下さい。 大沢
最近のコメント